エッセイ

耿さんの日々

ふるさとは遺伝子に

列車を降りるとまるで灼熱地獄である。北国に慣れた体には耐えられそうにない。よくもこんな所に昔住んでいたと我ながら感心して駅前を見回すと、以前あった食堂や喫茶店は姿を消し、替わってどこにでもあるファストフード店やコーヒーショップが並んでいた。初めて見るモニュメントが、確か花壇だった場所を占領していた。もはや記憶に繋がるものは無く、ふるさとは大きく変貌していた。

家までは歩いても三十分足らずの距離だがその気にもなれず、バスも面倒くさいとタクシーに乗った。冷気に慰められて流れる景色に目をやると、道路の繋がりが辛うじて子供の頃の記憶を呼び覚ますが、左右の建物は見たこともないものばかりである。浦島太郎の嘆きがよく分かった。

着いたのは見慣れない家だった。建て直したとは聞いていたが、こんな風か……。躊躇しながらチャイムを鳴らすと聞き覚えのある声が返ってきて、中から現れたのは姉だった。顔の皺が増え、体型が弛み、髪の毛が赤く染まってもさすがに見間違えることはない。

「ああ……」
と気のない挨拶をし、最初に口にした言葉が、
「更けたねえ」
「お互いに」

十年近い御無沙汰である。私が若く両親も生きているうちは何度か戻ることもあったが、自分の子供が大きくなり、母が世を去り父も逝くとすっかり足が向かなくなった。四人兄弟で男は私だけという構成だったが、跡を姉が継ぎ、私は遠く離れた所に根付いてしまったからここを実家と呼ぶのはもう相応しくないだろう。やがて連絡も疎かになり、久しぶりに来たと思ったら、娘が結婚するので叔父として出席しろとの厳命であった。全く、兄弟というものは幾つになっても序列が変わらない。

型どおりの祝辞と謝辞を交わすと姉は世間話を始めた。隣近所の誰さんがどうした、芸人の何とかの子供がどうした、親戚の伯母さんが意地悪だと、話題はあちらに飛んだかと思うとこちらに戻り縦横無尽である。始めは調子を合わせていたがだんだん飽きて、つい欠伸が出た。すると姉は、
「人の話を真面目に聞かないで、あんたお父さんとそっくりね」

思わず噴き出してしまった。昔、母も同じようによく喋り、父は聞き役をさせられ、同じようにあくびをしては叱られ、後でぼやいていた。そう言えば姉の声は母にとても似ている。私も父似だと言われるから今の二人のやり取りは数十年前の再現に違いない。ふるさとは、様子は変わっても姉弟の遺伝子の中にしっかりと刻まれていたようだ。笑いを抑えきれずにいると、姉はますます声を荒くして私を詰った。それが古い記憶を一層引き出し、腹の皮が捩れて苦しくなるほど笑い転げた。