エッセイ

耿さんの日々

夜明けのコーヒー

道路に置いたテーブルには既にたくさんの人が染みついたように座り込み、コーヒーを飲んで話に興じていた。近付くとあちらこちらから挨拶が飛んで来る。港町の朝市は今日も盛況で、中でも名物とされるこの店には常連達が溢れていた。

「そろそろ寒くなってきたものえ、雲の形が秋だなす……」
「下北で青刈りを始めたらしい……」
別の席では、
「アルカイダのテロでなくなった人は一万人になるかもしれないんだと……」
「つるなの食べ方だすどもな……」
「姪っ子が結婚することになったんだけど、出来ちゃった婚で、はぁ……」

まるで渦潮みたいに色んな話が交じり合っている。掻い潜って奥まで入り腰掛けたとたん、潮しぶきが飛んできた。
「あんだどう思う。私とおやじとどちらが筋通ってる?」
怖い顔でいきりたっている。
「何の話だえ」
「や、だからす、さっきから言(へ)ってらが」
きょとんとしていると、
「こちらは今来たばっかりで分かんねすよ。ま、これでも食って、サービスすっから」
おやじさんが焼けたばかりの煎餅を出した。
「口封じだか。腹の黒いのが見え見えだなす」
周りの人の笑い声が泡と弾けた。

この店は、本当は煎餅屋である。いつの頃からかコーヒーが振舞われるようになり、今では早朝散歩や買い物の人たちが夜明けのひと時を楽しく過ごす憩いの島になった。
「まんだこっちゃ、コーヒー来(け)んねえや」
「今新しいの入れてるから、もちょっと待って」
小柄な女将さんが愛想よく動き回るが時々間に合わず、でも急かしたり怒ったりする人はいない。それどころか忙しくなると客が給仕を手伝うこともある。壁にかかっている絵や書は売るためでなく、店に来る客達が趣味で仕上げた『芸術作品』らしい。ここはそういったものの展示場でもある。時にはコンサートも開く。つい先日もリュートの演奏会が朝早くから催された。演奏者も聞き手も、やはりいつもの顔ぶれだった。
「どうだなす、食(け)ねすか」
 ご婦人たちの席から回ってきたのはコンニャクの田楽だった。
「どこで買ってきたのすか」
「この人が作ったの」
「夜中のうちから?へえ」
一つ口に入れた。コーヒーと、意外に合う。
「む、…美味い。だども……」
「ストップ。それ以上言うな。そっからさきゃ、冷やかしか悪口だべ」
「お見通しか」
軽口は叩いても誉めあう事が無いのはお互い百も承知である。

乱暴に扉が開かれた。驚いて目をやると、赤い顔をしてタオルを頭に巻いた男が突っ立っていた。まるで海坊主。とたんに女将さんの顔が曇り、おやじさんが険しい顔で、
「ここはあだの来るところでねえ。帰んなせ」