熊野古道


 仲間達と熊野古道の中辺路(なかへじ)を歩いた。わずか十三キロ程だが古道の中では難所であるらしい。昔、「斧を立てたような」と高貴な人が表現した急な登りにいきなりぶつかり、息が弾んだ。こんな道を、人を従え牛馬を連れて三十回以上も通い賜うたとはとても信じられない。よほど信仰心が篤かったのだろう。近代までいろんな人がこの道を歩いて大社に詣で、現在に道路が残った。神に対する畏敬の念が凝縮した日本の宝である。世界遺産となってからは以前よりもたくさんの人が訪れるようになったらしいが、殆どはほんの少しだけを歩いてさっさと車で帰るとのことで、案内をしてくれた人が嬉しそうに、
「これだけの距離を自分の足で歩こうなんて物好きは珍しいですよ」
現に今回の行程の中で擦れ違う人は一人も居なかったから本当にそうなのだろう。
「掛け声をかけながら登りましょう。ここは修験者の通る道です。彼らは、今でもこういう風に声を合わせます」
咳払いをしておもむろに、
「ろーっこーん、しょーじょ」
声を張り上げ、私たちにも一緒に唱えるよう促した。その通りにすると、
「六根とは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの五感に心を足したものです。清浄とは清らかにしていますか、という問いかけの言葉。皆さんはどうですか」
「いや、とてもとても」
 手を振りながら返事すると、
「そんな時は、『さーんぎさんぎ』って返事するんです。さんぎ、『できていません、懺悔します』と言う意味です。ではやってみましょう。ろーっこーん、しょーじょ」
「さーんぎ、さんぎ」
 幾度か掛け合いをすると、不思議に元気が湧いてくる。何とか尾根を登りきると、誰の顔にも汗が噴き出していた。山道はなだらかになり、やがて高い木に包まれた森に入った。
「ここには昔棚田がありましてね、人が住んでいたんです。でもお参りする人が減ると生活する人も居なくなり、こんなになってしまいました」
 地域の語り部もしているという案内人さんは残念そうに言う。別の所では、
「ここには旅館があったんです。その辺がトイレの後、もう臭くもなんともないです」
 面白おかしく説明したかと思うと道沿いに生えた小さな木を指し、
「これはお茶の木。この辺で自生する筈の無い木が生えているのは、人の住んでいた証拠です」
 今度は学者。言葉の端々に地元への愛着が滲み出す。
「今ここに住んでいるのは、虫だけです。これなんかその代表です」
 手に持った杖で地面を指した。その方を見ると、なんと五十センチ近いミミズが地面を這っていた。太さは二センチ以上もあるだろうか。
「ミミズが、虫ですか」
 そう訊くと、意外そうに、
「人、鳥、獣、魚、貝以外の動物は全部ひっくるめて虫と言うんです」
 そうかも知れない。が、どうでも良いことである。ミミズに目をやると、何かに反応したのか、体をくねらせてのたうった後、鎌首を持ち上げそのまま停まった。するとそれが合図かのように、木の上の蝉たちが一斉に鳴き出した。案内の人が、
「この山にはこれ位のミミズはたくさんいます。その他にもたくさんの虫がいます。彼らは全部ネットワークで繋がっているんです。その中心に居るのは神様かもしれません。現代の人間は残念なことにそこからはみ出している、それも自分の意思で。次の時代、神様から選ばれるのはひょっとしたら、虫かもしれません」
 感慨深げに、恐ろしい、しかし説得力のある示唆をした。虫に敬意を表し、大回りしてその場を通り越した。
 いくつかの王子宮を過ぎてようやく目的地に着いた。大きな石碑の前で写真を撮って皆で来た道を振り返り、
「これで少しは清められたかしら」
 一人が言うと案内の人は、
「少しは、ですね。でも最低三回は来ないとだめです。昔の人は今の何十倍もの距離を歩いて、しかも三十回以上来たのですから」
 やはり物見遊山でご利益を得ようなどと考えるのは、それこそ虫が良過ぎるらしい。

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