エッセイ

耿さんの日々

えんぶり

お山の上の神社に舞を奉納した黒装束の太夫(たゆう)たちが「まつりんぐ広場」に降りてきた。いよいよ「えんぶり」の始まり、これから「まちなか」までみんなで行進して踊りを披露するのだ。健太は四才の時からこのお祭りに参加して、今年で七回目になる。去年までは「えんこえんこ」などの、たくさんの子供たちでやる踊りに出ていたが、今年は「えびす舞」を一人で踊ることになった。みんなが集まった場所で指名された時恥ずかしくて真っ赤になったけれど、瑠奈ちゃんが、
「うわあ、すてき」
と、とても喜んでくれたのでやることにした。それで去年の暮れから何度も何度も練習した。大丈夫だとは思うけれど、やっぱりちょっと心配だ。まあ一生懸命やるしかない。みんなと歩きながら、健太は思った。

「えんぶり」は健太のまちに伝わる、豊作をお祈りするお祭りだ。健太のうちはおじいちゃんの時までお米を作る農家だった。今、お父さんは会社員だけれどお祭りが大好きで、休みをもらって「えんぶり」には毎年出ている。社長さんが、
「仕方ねえか」
と笑って許してくれるらしい。
「本当は社長さんもお祭り好きなのに、照れているんだ」
とお父さんが言っていた。健太もお父さんに連れられて踊りの練習を見にいっているうちに出るようになった。踊りの組は町内ごとにあって、全部で三十以上、それがいっせいに踊るから街の中は見物人でいっぱいになる。

お天気が心配だ。厚くて黒い雲が頭の上に被さっていて、今にも降り出しそうな顔をしている。どうせなら雪のほうが見た目にも良いけれど、そこまで寒くはない。「温暖化」とかいうことで、二月なのに雨の予報だった。顔に小さな水玉が飛んできた。とうとう降りだしたようだ。

いよいよ「まちなか」に着き、それぞれの組があらかじめ決められた場所に分かれた。健太の組は大きなビルの前だ。見物の人たちが、始まるのを今か今かと待っている。のろしが上がった。緊張して背中がピンと伸びた。

最初は太夫たちの「摺(す)り始め」だ。被っている烏帽子は馬をかたどったもので、練習の時に被らせてもらったら、大きいし重くてすっぽり頭が隠れてしまった。そんなのを付けて首を左右に何度も振るから、とても難しい。

次が「松の舞」、松の絵を描いた扇子を持って踊る。去年までは健太も出ていた。前に出るとき、瑠奈ちゃんが健太に小さく手を振った。どの女の子たちも鼻筋に白い線を描いていて、まるで人形のようだ。健太も微笑んで応えた。その次に「大黒舞」が続く。瑠奈ちゃんたちが扇子を小槌に持ち替えて続けて踊った。どちらも、とても可愛いと健太は見とれていた。雨が、また少し強くなった。見上げると雲の色が濃くなっていた。

太夫たちが「中の摺り」を舞い終え、いよいよ健太の出番になった。「えびす舞」は恵比須様の格好をして、鯛を釣るという踊りだ。真ん中に出て、まずは口上を言う。
「晴れ渡った今日の佳き日に、今年一年のあんねいを祈ってめでたい鯛を釣ろうと……」
 難しい言葉だし、雨が降っているけれどそう言うものらしい。声がかすれていた。出る前に一口水を飲んだのに、もうカラカラだ。でも構わずに続けた。
「……さて、どこらがよかろ……」
「はあ、どこらがよかろ」
後ろで囃子の人たちが太鼓を叩いて調子を合わせてくれる。だんだん乗ってきた。
「はあ、ここらがよかろ」
びくから飴玉を取り出して撒き餌をするようにばらまくと、見物の子供たちがいっせいに拾った。持っていた釣り竿に餌をつける真似をし、前に垂らした。扇子を広げて扇ぎながら、のんびりとかかるのを待っているふりをして見物の人の前を行ったり来たりする。すると、先回りしていた囃子の人が釣り糸を引っ張った。
「ほい来た」
足を大きく広げ、魚と格闘している格好をする。時には後ろを向いて肩に釣竿を乗せ、さらに踏ん張る。
「がんばれ、がんばれ」
見物席から声がかかった。
  囃子の人が手を放した。のけ反って、残念そうに地団太を踏む。
「あいやいや、逃げられてしもうた。よしもう一度」
 再び餌をつける真似をし、竿を垂らし扇子を広げてしばらく待った。囃子の人が、今度は大きな鯛(と言ってもセルロイドだが)を糸の先に結び付け、強く引っ張った。
「よし、今度こそ」
そしてまた格闘だ。やっと釣り上げると、見物席で拍手が湧いた。鯛を脇に抱えて、最後の口上を言う。
「大きな鯛が釣れもうした。さっそく持ち帰り、旦那様に差し上げようと存ずる」

終わって後ろに下がると、肩や首から力が抜けてゆくのが分かった。雨が激しくなってきたけれど、健太の体が濡れているのは汗のせいだ。

全部の演目が終わって見物の人たちに挨拶を済ますと、瑠奈ちゃんが話しかけてきた。
「すっごく、かっこよかったよ」
 嬉しくて、頭に血が上った。いつか、太夫になって踊りたい、その姿を瑠奈ちゃんに見せたいな。
健太の夢は大きく膨らんだ。