エッセイ

耿さんの日々

着物姿で

地方都市の中で小さいながらも商売をしていると、さまざまなお付き合いが欠かせない。業界はもちろんのこと、商工会議所・銀行・町内や取引先の親睦会、さらには町おこしのためのボランティアグループから文化芸能関係の同好の集まりなど、よくもまあ、いろいろあると感心する。しかも、どの会に出ても同じような顔ぶれが並んでいるのが地方都市の特徴で、それならいっその事纏めたらと思うがなかなかそうもいかないらしい。それぞれが、仲間であると同時にライバルでもある。年末になるとそれらの会が一斉に忘年会を企画して案内状をよこすので、従業員が手分けして対応することになる。もちろん私もいくつかに出席しないわけにはいかない。経営者にとっては大切な仕事である。

昨年の、その忘年会の一つでのこと、座が盛り上がり、お互いに挨拶を交わす声で会場のざわめきが最高潮になった頃、隣の席に移ってきた人から突然話しかけられた。
「この間、和服姿で歩いているのを見かけたけれど、着物に興味あるの」
 それは親しくしている造り酒屋の社長さんで、時々とんでもないことをやる面白い人である。酒蔵を開放して講演会やコンサートをやるのは序の口で、どこから調達したのか屋形船を蔵の前の川に浮かべて、
「まちを海から眺めてみよう」
と友人達を掻き集めたこともあった。他にも時々、何かと話題を振りまいてくれる。

「街が元気を無くすと、うちの商品の売り上げがあがらないんだ」
というのが大義名分で、それは全くその通り、私のところも同じである。こういう威勢のいい人がいてくれるから、たくさんの人が活力を保っていられる。有難いが、本当のところおっかない。今度は何を企んでいるのかと訝しんだが、取りあえず正直に、
「今、茶道を習ってるので、お稽古やお茶会の時は着るようにしている」
 と答えると、うんうんと深く頷いて、
「いいね。日本人なんだから、着たほうが良い」
 そして暫く押し黙った。ところが、どうもまだ何か言いたそうにしている。そこで、
「あなたこそ、日本酒という伝統のものを造っているのだから着てみたら。私より似合うと思うよ」
 からかい半分に言うと、にやりと表情を崩し、
「実はね」
と声を小さくして、
「新年会の時、着て来ないか。私もそうする」
 始まったな、と思った。でもこちらも興味が湧いてきて、
「二人だけではね。もっとたくさんの人が着て来るのなら乗るけれど」
 すると、ぐっと顔を寄せてきて、
「何人かに声をかけてみる。また連絡するから、その時はよろしく」

子供みたいに瞳を輝かせ、席を立ってぽんと私の肩を叩いた。お互いに悪戯っぽく笑顔を交わし、その時はそれで終わったが、数日後、本当に電話が掛かってきて、
「市長に了解を取った。幹部にも着て来るよう勧めるそうだ。ほかにも探すから」
 いきなり市長か。市長には以前私も同じことを唆したことがあるが、あまり積極的ではなかった。さすがに、あの人は口説き方が上手い、と舌を巻いた。こうなったらこちらも合わさざるを得ないと覚悟していたら、さらに数日後、また電話があって、
「新年会だから、紋付で揃えようということになった」
 これには驚いた。なんだか大変なことになってきたようなので、慌てて、
「紋付なんて、私は持ってないし、今から準備なんてできない」
口から泡を飛ばしながら反論すると、
「貸衣装でも何でもいいでしょう」
あっさりと答えた。そんなに簡単に片づけられても困る。これでも、和服には少しばかりの拘りを、私は持っているのである。
「でも、家紋をつけるのでしょう。我が家の紋なんて、私は知らないし」
 開き直ってぐだらぐだらと文句をつけると、
「なんだって分りゃしないから。ドラえもんでも、ポケモンでも」
 ダジャレではぐらかされては、たまらない。
「そんなの紋じゃない。それに紋付は礼装でしょうが。言わばタキシード、冠婚葬祭に着るものだよ。新年会は洋装なら背広にネクタイで、これは平服でしょう」
 さかんに押し返すと、煩いと思ったのか、
「市長は主催者だからね。一般参加者はそこまでしなくてもいいかな。じゃあ、ま、そういうことで」
 何がそういうことなのか分からないが、成り行きからして少し譲ったようなので、ほっと安堵した。

年が明けて新年会の当日、着物姿で現れたのは市長と市議会議長、会議所の会頭と大物ばかり、それに私たちの五人だった。しかも私以外の四人は本当に紋付を着ている。議論を嫌っただけで全然譲っていない。もっとも、それがかの人の個性ではあるのだが……。

残念ながら、市役所の職員は一人も居ず、近くにいた部長さんにそれを詰ると、
「持ってないし、できたらということだったんで」
 おおいに戸惑っていた。別の部長さんにも問い質したら、
「朝から準備で走り回ってるんです。時間的にも気持にも、とてもそんな余裕はありませんよ」
逆に叱られた。副市長や市会議員さんにも聞いたが、首を少し傾げて苦笑するばかりである。それでも好い。まずは和服姿で出席する実績はできたようだ。数を増やすのは来年からの楽しみとしよう。
「写真を撮らせてください。記事にしますから」
新聞記者がカメラを向けた。一列に並んでいると他の人たちも携帯を構え、テレビカメラも近寄ってきた。どうやら話題性は十分である。

ひとしきり写真を撮り終えると仕掛け人が、
「では、着物姿と日本酒で乾杯。絵になるなあ」
 一人で悦に入り、満足していたので、これをやりたかったのか、とようやく納得した。来年はひょっとして、今度は裃をつけてなどと言い出すのではないか、と心配も湧き起こったが、そうなったらいっそのこと、
「冠と直垂にしたら」
と煽ってやろうか。もし実現したらそれこそ大変だが、でも市長もまさかそこまでは同調するまい、と頭を揺すって不安と妄想を振り払った。