エッセイ

耿さんの日々

八戸ファンタジー

ひょんなことから八戸ファンタジーに出演することになった。私の創った歌に興味を持たれた日本舞踊の先生から、使いたいとの願ってもないお申し入れである。喜んで受け、当日見に行くと連絡したら、 「会場に来るのなら舞台で歌ってください」 「まあ……」 と曖昧な返事をしておいたけれどどうも気が進まない。

実は二度目である。昨年は「怖いもの知らず」で出たものの、照明の当たった瞬間意識が動転し後で気付くと脇の下や背筋が冷や汗でたっぷり濡れていた。今年は辞退と思ったが言い出すきっかけが掴めない。その間にも話が進みプログラムに名前が載ってしまった。なるようになれと開き直ったけれどまさかぶっつけ本番というわけにもいかず、リハーサルに参加したら踊るのは去年と同じ子供達だと知らされた。赤い前垂れをかけてとても可愛い。これはもうどっぷり浸らないと収まらないと覚悟した。

この催しには顔見知りやキャンバスに通って来られる方もたくさん出演なさるので以前から注目していた。趣味や習い事に力を注ぐのは生活が彩られて楽しいことだろう。それにしても女性が多い。もはや感性の世界は女性に凌駕されている。無趣味の男性は定年を迎えると自己を確認できる場をなくし、背後霊のようにただついて歩くだけになる。そうならないよう、芸能でもスポーツでも今から窓を叩いておいたほうが良い。

出番はプログラムの最後だった。観客席はだいぶ疎らになっている。ほっとして準備を始めた。用もないのに控え室に行ったり廊下をうろついたり、あるいは建物の外に出て冷たい風に当たる。それを落ち着かないと揶揄する人もいるが私なりのテンションの高め方で、じっとしていたら不安ばかりが膨らんでくる。

やがて本番。毛氈の上で正座して歌うのは初めてである。曲想に相応しいので気持ちよく歌っていると、ゆっくりした曲のはずがだんだん速くなってきた。戻そうとしても口が勝手に走る。踊り手が面食らっているのではないだろうか。ようやく終わり、ちらと舞台を見ると子供たちが最後のポーズをとっていた。合わせてくれたらしい。安心して下がると司会の女性がグッドマークを投げかけてくれた。 「ご苦労さーん」 「お疲れー」 あらゆる物を包み込む優しい言葉が辺り一面に散らばった。