エッセイ

耿さんの日々

威張りたい人

世の中にはとかく威張りたい人が多いらしい。
「この仕事に関わって○○十年、もう隅々まで分かっている」
「重鎮と言われているんだぜ。わしの言うことは誰でも聴く」
なかには、 「この間新聞に載った××とは親戚でよう」
「あの偉い人の、俺は一の子分だ」 ……

横柄なしゃべり方で何故かだみ声、威張る内容は千差万別である。鼻の穴を拡げ、腹を突き出して人を見下したように威張り散らす姿は、お世辞にも品が良いとは言えない。

過去の実績や経歴に誇りや自負を持つことはもちろん大切だろう。だがそれも程度問題で、是が非にでも自分を高い位置に置きたい意図が見えてくると哀れですらある。耳を塞ぎたいのを堪えて聞き、面と向かって反発しなくとも、露呈した底の浅さに心の中で嘲笑さえ浮かんでくる。

やたら威張る人は、実は自信が無くいつも不安感に苛まれている、そんな葛藤を振り払いたいから態度に表れてくるのではないかと思うことが時々ある。その証拠に、威張る人ほど、とかく群れの中に居たがり、あるいは散財をしてでも他人を傍に引き寄せたがる傾向を見てとれるからである。豪放磊落なようでいて、おそらく実態は寂しがり屋で精神的にはまだ子供、自立できていない人なのだろう。

こんな人に付き合わされたらいい迷惑である。くどくどと詰らない話を何度も聞かされ、相槌を何度も打たざるを得ず、飽きても欠伸することができない。中にはそんなことは始めから承知で追従し、精一杯煽て、代償としてもてなされるお酒や料理が目当ての人もいるから困ってしまう。

「みっともないからやめなさい」  
忠告しても聞くものではない。そんなことをしたら、威張るだけのことはあって多少は周囲にも影響力を持っているのだろうから、むしろ反発を受け、こちらの方が威張っていると陰口を叩かれかねない。人を選んで付き合い、同じ批判を受けないよう自重する、それが精一杯の防衛策なのだろうが、世間を疎ましく思える事象ではある。