エッセイ

耿さんの日々

華やかな応援団

また大地が揺れた。始めは大きく、その後小刻みに。幸いにも我が家の被害は少なかったので、ひと安心して散らかったものを片付けていると電話が鳴った。取ると、
「会長さんですか」
上ずった声である。嫌な予感が走った。
「そうですが」
と答えると、
「地震の被害で公会堂が使えなくなったそうです」
泣き入りそうに言う。かけて来たのはジュニアオーケストラの団員のご父兄で、熱心な役員さんでもある。こちらも、
「とりあえず、事情を聞いてきてもらえませんか」
それだけ言うのがやっとだった。

緊急の打ち合わせ会が開かれた。聞きに行った役員さんの話によると、観客席の天井の一部が落ちて床に散らばり、「怪我人の無かったのは奇跡に近い」と公会堂の職員がやたら興奮していたそうだ。そして、
「補修には三ヶ月くらい掛かるでしょう」
「ちょうど予約していた演奏会の頃なんですが、間に合うんですか」
「難しいと思っていただいた方が……」
核心の質問には曖昧な返事しか無かったらしい。

重い雲が漂った。一人のお父さんが、
「子供たちは一生懸命練習してきたのに突然の地震なんて、今年は無理かな」
「あの……」
離れた席に居た別の団員のお母さんが遠慮しながら、
「突然でない地震なんて無いですよね」
お互いに顔を見合わせて苦笑した。座が和み、少しだけ覗いた青空を拡げるように、
「子供たちが楽器に取り組んでいる時、目が輝いているんです。何とか演奏させてあげたい」
「そうよね」
同調するお母さん達がいて皆の表情に光が射すと、
「別の会場を当たりますか。何とかしましょう」
指揮の先生が黒雲を吹き飛ばした。

ジュニアオーケストラは地域の子供たちを中心に編成され、もう二十年近く定期演奏会を続けている。団員として活動した子供たちの中には、進学や就職で都会に出てもこれだけは参加したいからと帰郷して来る人や、結婚して子供と一緒に再入団して来る人もいる。  
ファンも多く、噂を聞いたのか、
「今年は駄目なんですって」
「いえいえ、必ずやりますから」
とは答えておいたが、心許ない。

朗報が入ったのは二日後である。南郷が使えそうだと言う。そこはつい最近合併で同じ市になった、郊外の公民館だった。新築だし音響も良いと先生が言うのだから間違いは無いだろうけれど、何しろ街中から車で三十分走らなければならないし観客席の数もうんと少なくなる。ちょっと首を捻ったが、
「他にはありません。出来ないよりは余程良いです。頑張りましょう」
力強く主張されて、
「そうですね。ではそうしましょう」

手配の見直しが始まった。運営にはたくさんのボランティアが活躍する。元団員や賛同者の人たちもいるけれど、中でも主力となるのが団員のお母さん達で、明るく積極的で頼り甲斐の有る応援団である。手弁当、時には持ち出しも辞さずに、練習会場の準備や片付け、食事やお菓子の手配、スポンサー集めやチケット販売など全てをこなす。私も、彼女たちから励まされることがとても多い。
「ポスターとチラシを修正しなければなりません。まだ配ってない分はストップして、配ったのは張り替えお願いします」

早速作業が始まった。細長く切った紙に会場を書き直し一枚一枚上から貼っていく。根気の要る仕事で滅入るが、騒ぎながらやると少しは楽しいらしく世間話の合間に鼻歌が流れた。何十年も前の歌謡曲である。口伴奏が重なり盛り上がったので、
「喉自慢にでも出てみたら」
と唆すと、
「やるか」
テンションがまた上がった。本当に、挫けることを知らない人たちである。

スポンサーや子供達の学校に変更のお知らせも出さなければならない。暫く原稿用紙と睨めっこしていたお母さんが、
「自慢じゃないけど文章下手なの。誰か……」
「先生に頼もうか」
「引き受けてくれるかなあ」
「色仕掛けでさあ」
屈託のない笑い声が飛び交った。皆で一緒に学校へ訪れ、
「……と言う訳で是非お願いしたくて」
精一杯の笑顔を見せると、
「分かりました。引き受けましょう」
校門の外でハイタッチの音が響いた。

楽器を運ぶのに、これまでは距離も近いからお父さん達を駆り出して何とかなった。だが今回はトラックが必要で、それも、前日練習の終わった後の夜になる。運送会社に頼んだ方が間違い無さそうだ。現地集合では来られない子供も居るから当日はバスをチャーターするとして……予想以上に費用がかさむ。お母さん達にカンパの空き缶が回された。
「他のご父兄にも頼もうよ」
「巡礼にご報謝ってか」
一人が御詠歌を始めた。鐘を振るしぐさが決まっている。
「お寺さんで習ったんだ」
「人には色々特技があるもんだ」
「馬鹿にしたな」
おっかけっこが始まり、その姿を見て子供達が笑い転げた。

夏休みの終わり頃、特別強化練習に集まったお母さん達が奇妙におとなしい。聞くとリーダー格のお母さんが体調を崩したという。
「お見舞いに行こうかって相談したんですが、病気をうつしたら申し訳ないから来ないでとおっしゃるんです。でも気になって」
「じゃあ、今日は早めに終えますか」
気遣いながら言うと、
「とんでもない。どうにか地震を乗り越えたんだもの、心配しないでしっかり練習するよう子供たちに言ってくださいよ。裏方は私達に、ドンと任して!」
逞しい声が返ってきた。

いよいよ本番当日である。お母さん達は、椅子を並べ、名札を張り、何度も席の数を確かめては、
「足りるかな。いったい何人くらい来るんだろうか」
全く予想がつかない。隙間無く座ったとしても五百くらいしかなく、だからと言って立ち見をお願いするのは心苦しい。
「補助椅子を揃えるよう言ってください」
交渉に行ったお母さんが係りの人を連れてきた。
「あるだけ全部出しました。でも定員以上入れたら駄目なんです。消防法やら何やらで」
「なるほど、よく分かりました」
係りの人を返したあと、顔を寄せ合って密談である。
「あとは私達の責任で入れましょう。せっかく来てくれたお客さんですから」
「了解」
こっそりと頷きあった。

昼食の後、お母さん達はいっせいに姿を消した。受付にいるのは男ばかりである。会館事務所の人が打ち合わせに来ても、
「留守番を頼まれただけで分からないんです。あちら、副会長さんですから」
他の人に押し付ける。振り向けられた方も、
「担当の人にあとで行くように伝えます」
役にも立たず、ただうろつくしかない。

やがてお母さん達が姿を現した。見ると、華やかな衣装で目いっぱい飾り立てている。
「素敵なブローチね」
「パパからのプレゼント。あなたのこそ素晴らしい、それもプレゼントなの」
「自分で買ったの。へそくりで」
少しは嫌味も含ませて、装身具を褒めあい着ているものを賞賛する。その会話がまた元気の源になり、まるでファッションショーでも始まりそうである。

準備が整った時には受付に行列が出来ていた。驚きの声を上げる間もなく扉を開き、お母さん達は手馴れた動作でチケットを回収する。どんどん人が流れ、十五分ほどで七割がた席が埋まり、それでも切れずとうとう満席になった。
「男の人達に言って補助椅子を運んでもらって。会長さんも副会長さんもお願いします」
こんな時に逆らってはいけない。従順な男達が椅子を運び込むと、通路も舞台下もすぐ一杯になった。
「感激です。開館以来、超満員になったのは今日が初めてです」
監視する積もりで傍にいた館長さんも興奮を隠せない。受付が終わり、間もなく開演だがお母さん達が座る席はもう無い。ロビーの大きなソファに腰掛け、背中をくっ付けあって満足感に耽っていると、心地よくて肩から疲れが抜けてゆく。ホールの中から拍手が聞こえ楽器の音が洩れてきた。穏やかな調べに乗せられて睡魔がお母さんたちを取り囲んだ。
「なんとかやったね」
「ほんとだ、できたね」

ため息をついて瞼を閉じると意識が遠のいていく。打ち上げのパーティを済ますまでまだ仕事は終わらないけれど、でもその前にほんのちょっとだけ休息しても神様は咎めないに違いない。高窓からの陽射しがお母さん達を照らし、音楽が癒すように流れた。