エッセイ

耿さんの日々

夜の無い国

「白夜をこの眼で見てみたい」
以前から抱いていた憧れを叶える機会が突然降って湧いたから驚いた。昨年の夏のことである。お題目は『水素社会の先進地視察』、八戸市や内外の企業が検討を続けている『市民エネルギー事業化協議会』の発案で、私もその一員を務めている。いろんな会合に顔を出しておくものだとしみじみ思った。ご講演いただいたアイスランド大使からの招請に応じた、夢のような企画である。

「そんなに遠くまで行かなくても」
一応は慎重意見も出したが強く主張し過ぎて廃案になったら一大事。ひやひや、そしてわくわくしながら準備は進められ、実施が決まったらすぐさま参加を表明した。何しろ市長と同行である。正面切って文句を言う人は居ない。

感動はホテルに着いたときから始まった。トレッキングする人向けの宿舎でその名も「山小屋」。小さなベッドが二つ押し込められた相部屋で、荷物を置くと足の踏み場も無い。簡素な壁飾り、大き目の靴置き場・・・スーツと革靴とトランクがいかにも不似合いである。狭さに誰かが文句をつけた。でもこんな貴重な体験に言い掛かりなんて信じられない。

アイスランドは北極圏ではないから正確に言うと白夜ではない。だが太陽が未練たらしく一晩中水平線のすぐ下に隠れていて、空は一晩中明るい。初めての夜は気が昂ぶって眠れなかった。しょっちゅうカーテンを開けては外を眺め、朝が待ちきれず四時頃寝床を離れると遠くの高層ビルに向かい無人の街並みを見物して歩いた。街路に電線が無い、歩道と車道に段差が無い、看板や標識・ゴミ箱なども殆ど無い、飾り気のない究極のバリアフリーが中心部へ伸びている。最北の国は街づくりの思想が日本とは違うようだ。冷気が鼻腔を洗い、感激に胸が痺れた。

不思議なことに気付いた。太陽の光が北の水面から洩れてくる。頭の中に地球と太陽の絵を描いてその理由を考えた。成る程、今地球の殆どてっぺんにいるから太陽は北極の向こうに見えるのだ。謎が解けて感慨はさらに深まった。

丘の上に大きな建物が見えたのでそちらへ足を向けると高級住宅街に入った。溶岩に覆われたこの国では苔や草は自生しても樹木は人手とお金を掛けないと育たない。だから庭木のある家を持つ人はかなりの所得と考えて良いらしい。

建物は教会だった。天を指すようにそそり立つ屋根の先端に十字架がそびえ、前の広場にバイキングの大きな像が海を眺めていた。この国の創始者らしい。街の全景が視野の中に収まり、まるで首都を掌の上に載せて弄んでいるような優越感が湧いてくる。深呼吸すると潮の香りで味付けされた空気が頭の芯まで滲み渡って、軽薄にも白夜の国の人になりきった錯覚に襲われた。