エッセイ

耿さんの日々

山の贈り物

少しだけ色付いた山膚を横目に見ながらアクセルを踏むと、向うの木立が、
「こちらへ来い」
とまるで誘うように風に揺れている。時計を見た。間もなく日没、どうせ今から急いでも帰り着くのが夜になることに変わりはない。分かれ道をいつもとは反対の方向にハンドルを切って誘いに乗った。両側から覆い被さる木の葉が陽の光に網目をかけて視界がすこぶる悪い。少し休もうか。道路脇に車を止めて歩き始めると黄色い落ち葉が吹き寄せてきて、センチメンタルが胸の奥から湧きあがった。

もう秋である。山道に漂う空気が冷たくなった。新年を迎えたのがついこの間のようでこの一年を振り返るが目立ったことが思い起こせるものでもない。年をとると時間の過ぎるのが早いと言うが、私の人生も最早秋のようである。

尾根に出るといきなり四方が開け、夕焼けに染まり始めた大空に包まれて立ち眩んだ。宙に浮き上がったのかとたじろいだけれど、深呼吸すると脳の隋にまで大気の精が染み渡り元気が盛り返して来る。山が微笑んでいた。どうやらこの素晴らしい物を贈りたくて私を呼んだらしい。山に感謝して車に戻った。家まで、もうひと踏ん張りである。