エッセイ

耿さんの日々

闖入者

六月土曜日の夕方のこと、自宅で寛いでいて、気が付くと携帯にメールが入っていた。会社からの緊急連絡である。何かあったのだろうか。不安を抱きながら開くと、「先ほど変な外国人が本社へ入り込んだため警察へ連絡して引き渡しました」と書いてあった。少しばかり驚いたが、処置が済んでいるらしいので現場に任せておくことにして、月曜日の朝出社してすぐに経過を聞いた。すると、
「酔っぱらいでした。勝手に入って廊下の隅で寝転がっていたので、起して外に出てもらい、警察に通報しました」

担当した社員が淡々と説明する。それによると、その日は当直で他の社員は全員既に退社していて、一人で対応したらしい。感心なことに写真もちゃんと残していた。見ると、上半身裸のいかにも逞しそうな男性が道路に寝そべり、すぐ傍に警棒を持った警察官が立っている。
「近くでパーティーがあって、そこから抜け出して畦道を歩いてここまで来たようです。うちは被害がなかったですが、近所の会社の車の窓ガラスが壊されていて、まだ警察で調べていますが、どうやらこの人がやったらしいです」
改めて写真を眺めた。アスリートのように鍛えた筋肉を惜しげもなく晒し、力も強そうである。
「よく乱暴されなかったね。扱い方が上手かったんだ」
気遣うと、
「優しく穏やかに接しましたから」
にこりと微笑みを浮かべながら答え、さらに話を続けた。
「三沢の米兵だそうで、酒を飲んでから歩いて帰る気になってここまで来たけれど訳が分からなくなってダウンしたらしい、と警察の人が説明してくれました」
「なるほど。冷静で適切な対応だったね」
もう一度褒めると、その社員は照れたように頭を掻いて報告を終えた。

寝ていたという廊下や、玄関表の、写真を撮った道路のあたりを確かめたが、何事があったようにも見えない。すべては落着していた。パーティーをしていたという会場の方向を遠く眺めたが、結構な距離である。八戸駅まで行こうとしたのか、あるいは酔っていたのなら本気で三沢まで歩いて帰ろうとしたのか分からないが、どちらにしても方向が違うから、こんなことになるのは歩きだしたときに決まったようなものである。

会社の周りを見渡した。ここは農地を拓いた団地の中で、四方には田植えされた稲の苗が順調に育ち、陽の光を受けて明るい緑色に輝いていた。ふと気づいたが、ひょっとしたら彼はこの輝きに惹かれて歩き始めたのかもしれない。それはあり得る。私自身、若い頃大阪で夜遅くまで酒を飲み、慌てて飛び乗った終電が途中までしか行かず、途方に暮れてたまたま見上げた月が綺麗だと酔いが頭に信号を送ったのか、そこから京都まで約三十キロの距離を歩いて帰ったことがある。やがて夜が明け電車が走りだしたが、ここまで来て今さら乗りたくないと意地になって歩き通したものである。してみると、騒動を起こした彼は、私の若い頃の焼き直しかもしれない。そう思うと俄かに親しみを覚えて愛らしくなってきたが、
「いやいや、今は立場が違う」
と表情を引き締め、一つ咳払いをしてから、瞼を釣り上げて部屋に戻った。