エッセイ

耿さんの日々

あじさい日和

「あじさいを、見に行きませんか」

誘われて、一も二もなく同意した。何でも、数百種類育てている人がいて、その株数は五千以上という。

「あじさいって、そんなにあるんですか」

驚いて次の言葉が出てこなかった。とにかく、見てみなければ始まらない。訪問する日を打ち合わせてその時を待ったら、当日は朝から雨で、それもこれまでのカラカラ天気の帳尻を合わせようとするかのような大雨である。これは中止だろうと思ったが、念のため確認の電話をすると、予定通り行くという。

「あじさいに雨はつきものですよ。むしろ絶好の日和じゃないですか」
これには舌を巻いたが、やはり興味はある。それに、この次いつ時間が取れるかわからないし、散ってしまっては話にならない。とりあえず、河童と傘を用意して集合場所へいそいそと出かけた。同行の人の車に乗せてもらい現地に向かう間に、声を掛けてくれた人が解説をしてくれる。

「自分で育てたくて、持っていた山の一面を拓いて花畑にしたんです。新しい株があると聞くと取り寄せて、もう何十年にもなる。それでこの数になった」

まるで自分のことのように言う。去年も訪れたというから、その時に吹き込まれたのだろうが、本当なら育てた人は筋金入りである。車は街はずれの山の斜面を登り始めた。雨が一層ひどくなり、道路は、雨水が川のように流れ落ちてくる。

「しまった。ゴム長を履いてくるんだった」

不安と後悔が心の中を駆け回っているうちに、ようやく木陰に隠れた山小屋に着いた。さっそく降りて中に入ると、小屋の主が出迎えてくれた。なんと、私もよく知っている人である。確か元市役所に勤務していて、今も街中の活動に関わっている。この人に、そんな趣味があったのかと改めて感心した。すると名刺を出し、「今更必要もないでしょうが、改めて」。あまり普段笑わない人が、頬を綻ばせている。見ると、『八戸あじさいの会会長』とあったので、そんな会があったのかと見直したが、さらにその上には、『あじさいとしゃくなげの里』と書いてあった。小屋の天井を見上げると、あじさいばかりでなく、様々な花の絵を描いた色紙が、敷き詰めるように並べて飾られている。その数、ざっと五、六十枚。「まだあるんですけどね、これ以上は飾れなくて。小屋をもっと大きく作ればよかった」。なんのなんの、外からは目立たなかったけれど、入れば結構広い。この部屋だけでも二十畳以上はあるだろうし、隣には十分に寝室になりそうな畳の部屋と、さらに向こうには囲炉裏まである。十分に別荘と言って良いが、「ここは、作業小屋として建てたんです。そうでなければ許可が出ません。それから改築を何回もしてこんな風になりました」

うまいことやるもんである。暫く談笑した後、自慢のあじさい園に案内していただいた。相変わらずの雨、しかも風まで出てきて、傘を被っても殆ど役に立たない。それでも怯むことはない。本人から直接聞いたせいか、今の私には期待が充満していた。

「申し訳ないけれど、まだ満開じゃないんです。来週のほうが良かったかも」

言葉は遠慮がちであるが、自負するところは大きいのだろう。一番良いところを見せたかった、それが本音に違いない。林の中に作られた花畑には、確かに咲いた花より蕾のほうが多かったけれどそれで私に不満が湧くことはなかった。見比べると、なるほど微妙な違いがそれぞれの花にはあるものだ。でも、もしどこかほかのところでお目にかかったら、全く区別がつかないに違いない。

心行くまで堪能して小屋に戻った。服はすっかり濡れ、下着まで湿っぽい。そんなことが気にならないくらい胸の中は感動で溢れていた。この人は、憎たらしいほど羨ましい生き方をしている。残り少なくなった私の時間もこのように生きたいと、妬ましくさえ思えた。