エッセイ

耿さんの日々

誕生日

久しぶりの朝寝坊から目覚めてテレビのスイッチをつけると、何やら恭しい式典の実況放送が映し出された。きれいに掃き清められた会場に礼装の多くの人々が並び、やがて貴賓が来場し、号令と共に全員が黙とうを捧げた。
「ああ、そうか」
直ぐに気付いた。毎年の、私の誕生日に行われる恒例行事である。私も一つ年をとったのか。その日は広島の原爆記念日で、物心ついた頃にはすでに行われていて幼い時期には違和感に取り憑かれたこともあったが、
「日本中が誕生日を覚えててくれるんやから、ええこっちゃ」
 親の擦り込みが強かったからかいつの間にか慣れて、どうと言うことも無くなってしまい、それと同時に原爆の悲惨さにも意識が遠のき、今はただの習慣くらいにしか思わなくなっていた。

その広島を訪れる機会に、先日恵まれた。仕事上の視察を終え、次はお決まりの名所巡り。バスの窓から見える街は目覚ましい復興を遂げ、産業が育って大きなビルが建ち並び、政令指定都市になるほど人口が増え、プロ野球の球団を抱え、国際会議も時々開かれるそうで、かつて、百年は草木も生えない、などと言われた所とはとても信じられない。

廻った中には原爆ドームをはじめ保存された被災現場もいくつかあったが、なんと言ってもインパクトの強いのが記念館である。展示品はどれも壮絶なものばかりで、笑顔を見せて見物できるものなど何一つ無く、厳粛とはこういう心持かと気を引き締めさせられた。表に出ると、外観はまるで大きな美術館で、庭には広くて長い池があり、その真ん中に永遠に消すことがない炎が灯されて犠牲者の魂を慰め、七十年たった今でも被爆手帳を持った人が亡くなるとその名を書き足していくことになっているらしい。そんな説明を神妙に聞いていたら、案内をしてくれた人が、
「私も手帳を持っているんです。いつかはここに名前が載るんでしょうね」
これには、さすがに胸が詰まったものだった。

三社大祭も終わりほっと気が緩んだ中でたまたま見た光景は、その時のことをしみじみと思い起こさせ、この記念行事は絶対に絶やしてはいけないとの気持ちを深くさせた。
「私の誕生日は広島の原爆記念の日なんです」

生まれた日に黙とうし、されるのは正直どこか納得しかねるけれど、私が協力できるのは、そう言い続けることくらいだろうか。まずは背筋を正して、合掌した。
するとかみさんが、
「なにをしているの」
と聞いてきた。説明をすると、
「私もね」
と、ぼそぼそ喋りだした。かみさんは私より一日誕生日が早い。だから一年のうちたった一日だけ年の差が減るので、その時は気持ちがブルーになるそうである。しまった、昨日声をかけるのを忘れていた。こちらにも、最敬礼と合掌をした。