エッセイ

耿さんの日々

シルバーウィーク

シルバーウィークと言う呼び方、春の連休がゴールデンウィークだからなんだろうが、まるで年寄り週間と言われているようで、どうも気に入らない。そう言えば、この中の一日は敬老の日か。今年から私も高齢者の仲間入りをしたので余計引っかかる。せめて『オータムバケーション』とでも呼んで欲しいものだ。略して『オーバケ』か、幽霊でも出てきそうだが、お彼岸だからこちらのほうが相応しいのではないか。そんなことを考えながら朝寝を楽しんでいると、かみさんが寝室に入ってきた。
「今日は何にもないんでしょう。郊外に出てみない、『うちの子』を連れて」

時計を見ると、もう十時を回っている。うんうんと頷くと、かみさんはパタパタとスリッパの音を立てて廊下を駆けていった。さっそく準備にかかったようである。

起き上がって窓の外を見た。雲一つない青空が天真爛漫に広がり、
「何時までごろごろしているんだ。もったいない」
そう言って、私を小馬鹿にしてくる。
「はいはい、起きますよ」
返事をして振り返ると、「よし」と背中に声が聞こえたような気がした。まさか……。

着替えて居間に行った。かみさんはもうリュックを用意していて、『うちの子』にワンピースを着せている最中だった。『うちの子』の種類はチワワ、雌である。小さいせいか、甲高い声でよく鳴くし、叱ると歯を剝き出して吠えてくる。噛まれても大して痛くないが、あしらい方を間違えると歯が刺さって、手や足に血が滲むこともあるから困ったものだ。かみさんのお気に入りで、人間の赤ん坊のようにしょっちゅう抱きしめ、
「まったく、この子はきかん坊だから」
そう言って顔を舐めさせる。だから、我が家では大いにのさばっている。でも、私が時々家を空けたり帰りが遅くなった時、かみさんの相手をしてくれるから有難い。
「どこへ行くの」
車に乗ってかみさんに聞くと、
「小川原湖、どうかな」
もうとっくに決めていたらしい。
「ちょっと待ってね。もう一人連れていくから」
「ああ、もう一人ね」

我が家にはもう一匹犬がいる。近くで音楽スタジオを開いている娘ので、種類はシーズー。一緒に暮らしているのではないが、しょっちゅう行き来をしている。

二匹を乗せて車は出発した。運転はかみさんだが、そこへ行くまでの道がよく分からないらしく、私はナビゲーター役である。南部山に入ると、窓の外には木々の緑が輝いていた。紅葉をすぐに控えて、植物たちはおそらく今が一番充実している季節なんだろう。

一時間もかからず、目的地に着いた。湖畔の、バンガロー村近くの高台で、程よく手入れされた芝生が広がり、しかも駐車場に殆ど車が無く、これでは貸し切り状態である。
「こんなところ、よく知っていたね」
感心してかみさんに言うと、
「前に友達に連れてきてもらったことがあるの。でも道がわからなかった。もう大丈夫、次から一人でも来られる」
だから私を誘ったのだと納得した。

早速芝生を散歩させようと、二匹を下ろしたが、どちらも戸惑っているようである。シーズーのほうはすぐに慣れたが、チワワはいつまでたっても体をくっつけてきて歩こうとしない。緊張しているらしく、尻尾を下げたまま……本当に内弁慶である。私が駆け出すと、シーズーはついてきたがチワワは前足を踏ん張って逆らった。仕方がないから、チワワの紐はかみさんに渡した。

先客は、一人いた。こちらも中型の犬を連れ、東屋の日陰で本を読んでいた。犬が先に私たちに気付き、小さく吠えた。私が小さく、
「ホウッ」
と声を出すと、なんとこちらへ寄ってきたではないか。足元が、どことなく心もとない。何度も声を出すと、それを頼りに近付いてくる。後ろから飼い主も歩み寄ってきた。中型犬は、傍まで来てもまだ私がわからないようである。首を左右に振って盛んに探しているようで、そのうち、小さな木の杭に鼻先をぶつけた。驚いて飼い主を見ると、
「目が見えないんです。もう老犬だから」
そうだったのか。犬の年齢は、人間の女性以上に判らない。
「犬にしてみれば、初めての老化でしょうから、案外新鮮な気持ちで受け入れているんでしょうね」
と言うと、
「老化が新鮮ですか。そう考えると、年を取るのも楽しいかも知れません」
飼い主の人は、そう応えると犬を連れて立ち去って行った。おしゃれな会話のできそうな人だった。もう少し四方山話でもしたかったが、残念である。後に残ったのは、青空と芝生と私たちだけ。世界中の幸せを独り占めしたような安らぎが、束の間の私たちを包んだ。