エッセイ

耿さんの日々

花火大会

陸奥湊の駅をたくさんの乗客と一緒に降りてきたときには、まだ辺りは明るかった。人の顔がはっきり見える。誰もが微笑み、これから起こるイベントに期待を寄せているのは間違いない。中には見知った顔もあり、軽く会釈してきたのでこちらも手を挙げて返した。すると近づいてきて、
「晴れてよかったですね」
 その通り、昨日まで雨、明日からまた雨の予報で、今日だけ青空が広がった。お天気の神様も粋な計らいをしてくれたものだ。そんなことを喋りながら、頭の中は回線がこんがらがり、オーバーヒートしかかっていた。何度か会っていることは間違いないが実はどこの誰だったか思い出せない。曖昧なまますぐに別れたが、その後、空を見上げて、
「認知症かな」
 と呟いて諦めた。こんなところで気をとられている暇はない。夕暮れが、今にも闇に変わろうとしている。ぞろぞろと歩く観客の間を流れに乗ったままではまだるっこしく、混雑をすり抜けたけれど、岸壁に着いたら人垣ができていて、もはや前には進めない。開始の時間に遅れそうである。

「今日はすっぽかして帰ろうか」
ふとそんな気が起こったが、せっかく来たのに、と気持ちを奮い立たせ、かき分けて中央の席へ進んだ。ようやくたどり着いた時には、アナウンサーと市長が前に出て開始セレモニーのリハーサルを観客と一緒に始めていた。それでも何とか間に合った。やれやれである。

観光協会は今日の花火大会の主催団体の一つで、私はそこの長だから出席しなければならないのは分かるが、するべき作業はスタッフが十分心得ていて私が特に指示をする必要もないし、挨拶など出番があるわけでもない。ただ、実行委員長や市長と並んで一番前の席に座っているだけで良いから楽ではあるがこれがどうも詰らない。

私は、花火を見るのは好きである。大の字に寝転んで頭の上に広がる光のショーを眺めていると、色々なことを忘れて空白の時間を楽しめる。ビールで喉を潤しながらだとなお良い。以前には茣蓙を敷いて、この岸壁や時には舘鼻の高台の上で眺めたりもした。楽しかった記憶が今も残っている。

それが運営に関わり、責任者になると、自分自身が楽しめないのである。楽しんでいる人たちが無事に時間を過ごして帰途に着くまでを見守っていなければならない。そのために、イベントが終わるまでアルコールを控え、食べるのも終わってから、居る場所も指定され、など肩の凝る規制がどんどん増えて伸し掛かり、不満が私の中で膨張していた。

万一事故が起こった時に、責任者が飲酒飲食をしていたと非難されては困る、というのがその理由なのだろう。メールやネットが広がったため、何かとすぐに写真付きでアップされたり、それに過大に反応しクレームをつけたりする人が多くなった。事務局としては、余計な話題を提供したくない。確かに私もどうでも好いことで陰口を叩かれるのは望まないが、窮屈である。会長職を降ろしてもらおうかと、この頃よく考える。

最初の花火が上がって、赤い光が広がった。少しだけ靄が消えた。また上がり、また少し消えた。もっとどんどん上がれ、光と音で纏わりついた夕闇を吹き払ってくれ、と声には出さないまでも胸の内で叫んだが、そこで口にしたのが生温くなったお茶では、気持ちも萎えてしまった。これは、ひょっとして認知症ではなく鬱かもしれない。そうか、私もいよいよ高齢者の仲間入りをしたのである。