エッセイ

耿さんの日々

おやすい御用

朝早く起きて入浴を済ませ朝食を摂っていると、かみさんが自分の部屋から出てきた。いつもなら寝間着代わりのトレーナー姿なのに、なんと外出着を纏っている。
「どこか、出かけるの」
 と訊くと、
「今日、おばあちゃんを病院へ連れて行くの」

 おばあちゃんとはかみさんのお母さんのことで、子供たちが小さい頃そう呼んでいたのがいつの間にか定着し、今でもそう呼んでいる。そうか、確か夕べも聞いた、と思い出した。最近、昨日のことをよく忘れる。古いこと、若い頃のことは簡単に思い出せるのに、不思議なものだ。うわの空で聞いているつもりはないが、次の日には記憶の棚の奥に隠れていることが、ままある。
「心臓の具合が悪いって言ってたね。でも、ペースメーカーを入れているんだろう」
「いやだ、昨日も説明したじゃない」
 途端に見下したような顔。しまった、と後悔したが、素知らぬ顔でいると、
「あまり効果が無くて、また不整脈が起こっているらしいの」
「最新の機械も、どの人にも効く訳ではなかったんだ」
「そういうこと。もう年だからね」
 おばあちゃんは今年九十歳である。数年前から足腰が弱り、歩くのも不自由なのに、
「私はまだ大丈夫。自分のことくらい自分でできる」
 と意地を張っていたが、とうとう立てなくなり、病院に行くと、いつ何処で転んでぶつけたのかあちらこちら青痣だらけで、診察したお医者さんが呆れていたと言う。治療のため勧められて暫く入院し、退院後はどこかの施設にお願いしようと周囲で相談したが、本人が頑として承服せず、たまたま私の会社の高齢者住宅が近くにあったので紹介すると、不承不承了解し今はそこで生活している。かみさんはしょっちゅう見舞いに行き、話し相手を勤めた後、洗い物などを持って帰る。親父さん(義父)も時々行き、人の見ているところでは車椅子を押したりして、
「俺が介護しているんだ」
 と威張っているが、実際の作業は殆どかみさんに被さっている。残念ながら、私は全くと言っていいほど関与していない。ただ、見舞いから帰ってきたときに、
「ご苦労様」
 と声を掛けるくらいである。それ以上、下手にアドバイスでもしようものなら、
「何もやってない人に、どうこう言われたくない」
 と機嫌が悪くなる。その気持ちはよく分かる。ビジネスの世界でもよくあることで、実情の把握ができていない人ほど正論を並べるが、でも、それができれば苦労はない。
「無理をしないでね」
 そこまで言うのが精いっぱい、これ以上顔を合わせていると多分かみさんの愚痴が始まる。早めに出勤しようと、逃げるようにさっさと着替えに部屋へ戻った。すると、後ろからかみさんの声が追いかけてきた。
「晩御飯の支度できないかもしれないから、よろしく」
 はいはい、それくらいおやすい御用です。
かくして、今朝も家庭の平安は保たれた。