耿さんの日々[その六]
けまない北の盆
七時にはまだ少し間があるが予定の人は全員乗ったので、バスは旅館前を出発した。
「今日のお客さん、みんなマナーが良いわね」
かみさんが感心している。空は真っ暗、日が暮れるのもすっかり早くなった。天気予報では今夜は大雨になると言っていたけれど外れたようで、曇っても降ることはなさそうだ。
「どういう意味なんでしょうね、『けまない』なんて。やはり馬産地だったのかしら」
「そうでなくてアイヌ語が語源なんだろう」
「ああ、『何とかない』なんてよくあるわね」
かみさんは納得したようだ。今、鹿角の毛馬内に来ている。数年前から盆踊りや夏祭りに興味が湧いて各地を見物するようになり、春先に友人との世間話でそれを話題にすると、
「なら、『けまない』に行くと良い。ちょっと変わってて、面白いよ」
と教えられ、しかも秋田県と聞いてすぐその気になった。私は八戸、近いのは魅力だ。
早速知り合いの旅行業者の人に手配をしてもらった。以前は会社の従業員に頼んでいたが、そうすると泊る所や見物の席は用意してくれるが交通手段や食事は自分で何とかしてください、などと平気で言う。まるで公務員だ。もっとも、私自身も行けば何とかなるだろうとつい手を抜いてしまうのが常だけれど、祭りなどの時期に突然レストランに飛び込んでも予約で全部抑えられていてたいしたものにありつけないことが多く、かみさんからその度に文句を言われていた。今回業者の人に頼んだのは大正解で、乗り換えもスムーズだったし、大浴場で温泉も十分堪能できたし、よく手入れされた日本庭園を眺めながらゆっくり夕食を味わうこともできた。
やがてバスは『こもせ通り』に着いた。ここが街の中心らしい。通りの両側に椅子がたくさん並び、見物人の到着を待っていた。席券を買い指定された場所に腰かけたが、祭りが始まる気配はまだない。貰ったパンフレットを見ると、七時半からだとあった。まだ十五分以上もある。仕方がないからじっくり説明を読んだ。表題に、『けまない北の盆』とあった。わざわざ「北の」と付けたのは、「一般的な盆踊りとは違うよ」と強調したかったからだろうか、確かに変わってはいる。ビールを売っているのは通りの中で一ヶ所だけ、いかにも担当の人という感じで売り場におとなしく張り付いている。多分役所か商工会の人だろう。今、あちこちの街で活性化に取り組んでいる。材料に祭りを利用することが多く、ここも、もともと地元の人だけの祭だったのを工夫して観光で客を集めようと思い立ったのだろうが、でもまだ慣れていない感があまりにも強く、ぎこちない。
ようやく『呼び太鼓』と呼ばれる演目が始まった。直径も長さも一メートル前後ある大太鼓が道路にたくさん並び、晒しの白紐で肩に背負った男たちが長い撥を振り回して叩き始めた。時々打ち手や太鼓の向きを変えて一生懸命叩いている。約三十分、打ち手にとってはかなりの重労働だろう。
踊り手が現れた。ところが通りには櫓などなく、道の両側に半分ずつ並んで細長い輪を作り、太鼓と一緒にぐるぐると回って踊るのだ。同じ振りを繰り返し、一歩ずつ進むから一周するのに三十分以上かかる。面白いのは衣装で、黒紋付や留袖を着て、帯もきらきらものが多くしかも裾を端折りピンクや水色の蹴出しを見せてかなり華やかである。なのに豆絞り手拭いの頬かむりで顔のほとんどを隠していて、違和感がある。後で聞いた話だが、昔好色な城主がいて目を付けた娘を無理矢理城に連れて帰ったかららしい。本当かどうかはわからないが、これが伝統なんだろう。踊りの名前は、『大の坂踊り』と言い、京都の念仏踊りの流れをくんでいると説明書にあった。振りの中に拝んでいるような動作があり、踊り手の中に亡霊も混じっているのではないか、とふと疑ってみたくなる。
次は『甚句踊り』で、左右に分かれた歌い手が、無伴奏で交互に歌い合う。中に結構ご高齢の女性が張りのある声で歌うから聞き惚れてしまったが、これも踊りはそれほど派手ではなかった。私が見たのはここまで、この後もあるそうだが、帰りのバスの時間になったので引き上げることにした。
翌朝朝食の後、旅館の前にある道の駅へ買い物に出た。昨日も着いてすぐ寄ったが、その時目についたのが『北限の桃きんつば』だった。鹿角が桃の北限地らしい。食べてみたらおいしかったのでお土産に持って帰ろうと思っていたのだが、残念なことに朝は置いてなかった。活性化はまだまだ空回りしている。代わりに買ったのが『北限の桃シロップ漬け』で、よほど北限をアピールしたいらしい。
祭りそのものはまるで博物館にでも来たようだったが、近くにこんなユニークなものがあるのを知らなかった。たくさん人が集まるものでなくても、結構楽しめる。これはちょっとした発見だった。何年か経ったらまた来てみたいし、他のまちにもないか、帰ったら早速調べてみよう。