耿さんの日々[その六]
上布の着物
ふとしたきっかけで茶の湯を習い始めてもう十五年になる。初めの頃は畳に座っていることすら苦痛で堅苦しいと思ったものだが、一緒に稽古している人たちとの会話が楽しくて今でも続いている。最近では椅子席の茶会も増え、苦になることも少なくなった。
十年ほど前のこと、生まれ育った地大阪で高校の同窓会があり出席した。私は卒業後故郷を離れたので皆と会うのは四十年ぶり、どの顔も記憶があるような無いような、相手が誰かを探りながらぎこちなく話していたが、やがて近況報告になり私の番が回ってきた。名前を名乗った後、
「今、青森県に住んでいます。趣味として茶道を嗜み、まずまず優雅に暮らしています」
他にも家族のこと、住んでいる街のことなどを話し、五分も喋っただろうか。終わって席に戻ると隣の人が小声で話しかけてきた。
「お茶って、あれは女性がやるものでないの」
「違うよ。もともとは僧侶や武士のもので、昔は男性の習い事だったんだ」
習い始めてから得た知識を披露して悦に入った。皆に程よく酔いが回ったころ、気が付くと隣の席には別の人が座っていた。名乗りあい、顔をじっくり見つめていると昔の記憶が蘇ってきた。宿題を忘れたり、悪さをして一緒に職員室に呼ばれて叱られたりしたことのある、あいつだ、あの悪友。手を上げてハイタッチすると、空白の時間が一気に消えた。二言三言その後の経過を話し合った後、あいつは現在の生業を話し出した。
「和服を扱っているんだ。と言っても新品ではなく、古着。旧家の蔵の中には、現在では作っている人もいないような物が眠っている。それを買って、必要とする人に売るのが仕事だ。古着と言っても馬鹿にするものではない。中にはまだ仕付け糸も取っていないようなものもあり、おたからに光を当てた時は職業冥利に尽きるよ」
「でも古着を新品のような顔して売るのは詐欺みたいなものじゃないのか」
「最初から古着だと断ってるよ。値段だって新品のせいぜい十分の一ってところかな。もっと安いこともいくらでもあって、買った人からは喜ばれてる。ところで、お茶をやっているって言ったね。だったら着物を着ることもよくあるだろう。よかったら、一つ紹介するから、俺から買ってみないか」
話しかけてきた目的が分かった。こいつは私を顧客、つまりカモにしようとしているのだ。乗り気でないような顔をして、それでも電話番号だけは教えた。
一週間ほどして連絡があった。紬の上物があるという。値段を聞くと、確かに常識からすると十分の一くらいだろうか。
「騙されても良いかな」
鷹揚な気持ちになって購入を承諾した。送られてきたものは想像よりはるかに良くて、満足した。その後も数度連絡があり、羽織や袴も買った。すっかり取り込まれてしまったようだ。お茶の稽古日には必ず和服に替えていくようになり、着心地を楽しむようにもなった。
一年ほど経ったころまた連絡があり、電話を取るといきなり、
「『じょうふ』って、欲しくないか」
「そりゃま、男としては、興味はある」
あいつが、『情婦』にかけて言っているのはすぐに分かったが、こちらもジョークで誤解したように答える。昔はそんな掛け合いをよくしていたものだ。
購入を承諾したら、一週間ほどで送ってきた。これも良いものらしく、つやがあり、表面が全く傷んでなくて腰がある。とても気に入り、二、三日は枕元に置いて寝た。
その後一、二度袖を通したが、それきりになっていた。今年の夏はとんでもなく暑く、着ることもないのかと諦めかけていたところへ知り合いから祝賀会の案内があった。チャンス、これを逃せば今年は着ないで過ごしそうだ。さっそく箪笥から取り出してハンガーにかけた。ところが、よく見ると脇の下と裾にほつれがある。生地はしっかりしているが、糸が痛んでいたらしい。なるほど、これが古着によくある欠点か。
自分で繕うことにした。着物を着るようになって、簡単なほつれや洋服のボタンの篝などは自分で直すようになった。初めて裁縫箱を手にした時かみさんが驚いたが、自分の好きなものの手入れをするのはなかなか楽しいものだ。亭主の好きな何とかに、かみさんは今では全く手を出さない。
祝賀会には繕いの済んだ上布に絽の羽織を着て出席した。同じ席に卒寿を越えた女性がいた。この街のお茶の世界では大御所、私の姿を見て、
「立派なお茶人になったこと」
感心したのか呆れたのかわからないが、にんまりと私の頬が緩んだのは間違いがない。