エッセイ

耿さんの日々[その六]

夏の嵐

仕事でドイツに在住している息子が八戸に帰郷した。今年は二回目である。これまで東京までは帰国しても用事を済ませるとすぐにまた戻ることが何度もあり、元来がせっかちなうえに、今仕事に脂が乗っていてそういう生活が楽しいのだろうな、そんな時にいちいち親の顔を見に、あるいは顔を見せに帰ってくる必要もないと帰郷の少ないことに納得はしていた。だがやはり帰ってくると嬉しい。

前回はあちらで息子が日頃親しくしているノルウェーの人がたまたま日本に来ていたので自分の故郷を見せたいと連れてきたのだが、それならと自宅にも泊まらせ、名物の朝市にも連れて行こうと提案すると息子も喜び、
「じゃあ、友達にアッシー君を頼むから」
 さっそく携帯を取り出し、長い打合せをしていたので好きなようにさせたら、翌朝早く家の前に真っ赤な車が迎えに来た。運転していたのは若い女性で、とても驚いて、
「誰、この人」
 訊いたら、「へっへー」と照れたように笑いを浮かべ、
「単に友達」
 それ以上は説明しようとしないからこちらも深く追求せず、来客の接待に専念したのだった。わずか三か月前のことである。

今回は、とんでもなく暑い夏と次々にやってくる台風の隙間をかい潜るようなタイミングで戻り、着くなり、
「結婚したいんだけれど」
 真面目な顔をして言う。呆気にとられて、
「誰と」
「このあいだの女の子」
「どこのなんという子なの」
 息子はようやく詳しい説明を始めた。聞くと八戸に住んでいる女性で、なんと、既に他界しているがその父親とは生前私も親しく付き合い、葬儀には来賓代表として出席したのだった。もちろん母親とも面識はある。だがそれぞれの子供については話をしたことは多分なかったから、一体いつの間に交際を始めたのやら、これも縁というのだろうか。だとしたら、八戸は狭い街である。
「一ヶ月くらいしか居られないから、その間に手続やら全てを済ませたい」
 とても性急なことを言う。
「そんな短い間に結婚式や披露宴の準備なんてできないよ」
「結婚式や披露宴は考えない。でも結納と入籍まで終わらせたい」
 仕方がないと息子のペースに合わせることにした。私には三人の子があるが、まだ誰も結婚しておらず、だから初体験で、どうしたら良いのか分からず途方に暮れた。
まずは結納。行きつけの文房具屋に行って事情を話すとすぐにセット一式を目の前に並べてくれた。昆布やらするめやら、訳の解からないものもあるが、いちいち聞いているヒマはない。これも伝統なんだろう。
「これを持って先方さんの家に行くんです。昔は仲人さんがしてくれたんですが、今は親が持っていくことが多いですね。ホテルや式場を使うのなら、そちらで細かく打ち合わせをした方が良いです。会場によって独自のやり方もあるようですから」
 そこで、これも時々利用するホテルに行くと担当だと言う人が現れた。この担当も知った顔で、知り合いが多いというのは良いことだ。適切なアドバイスをしてくれる。
「ここでやるのはセレモニーで、その前に一度先方と打ち合わせをしてお互いの家を訪問し合った方が良いと思います」
 アドバイスに従って、まず私の方からセット一式を持って先方の家を訪れ、二日後先方が私の家にやってきた。そして次の日ホテルで結納式と両家の食事会をして、その足で二人は役所へ婚姻を届け出た。新郎新婦を見送りながら、
「まさか親戚になるなんて想像もしていませんでした。ご主人がご存命なら、良い飲み相手になったのに、と残念です」
「本当にね」
 先方のお母様も感慨深げに溜め息をついていた。
 一通りのことが終わると、待っていたようにまた台風が日本を襲い、八戸は少なかったが西日本は大きな被害があったとテレビが報道した。その台風が去ると息子たち二人は以前お世話になった人に結婚の報告と新婚旅行を兼ねて金沢に行き、そのままドイツに向かった。あっという間の一ヶ月、息子の振り撒いた嵐の後は気が抜けて、数日放心が続いた。