耿さんの日々[その六]
続イカール国際ミュージックキャンプ
桜もようやく終わった五月の中旬、会社に電話がかかってきた。とるといきなり、
「暑いですね」
だみ声が響いた。О氏だ。そろそろ来るのかと思っていたが、やはり来たか。
「そちらも暑いですか」
穏やかに答えた。ところがО氏の声はますますテンションを上げて、
「こんな暑さ、今まで経験ないですよ。でも津軽はまだ良い、東京は地獄らしいですね」
しばらくは天気談義が続いた。本題をどう切り出そうか、タイミングを見計らっているのが見え見えだ。痺れを切らしたように、
「ところで、今年もイカール国際ミュージックキャンプをやりたいんです。それで色々とご相談したいことがあって電話しました」
О氏の言葉遣いが一段と丁寧なった。私も少しだけ姿勢を正して、
「もうそんな時期になりましたか。で、相談というとどんなこと」
なるべくはぐらかしながら返事をしたが、О氏の蛇の執念はそんなことくらいではひるまない。
「またやるのなら協力すると、去年約束してくれたでしょう」
「そうでしたかね」
確かにした。去年イベントが終わった後の打ち上げで、酔いが言わせたのだ。言わなきゃよかった、と今では後悔している。О氏の口調は事務的になり、訪問の約束が成立した。
電話をかけてきたО氏は青森市在住の音楽家で、NPO法人を立ち上げ、クラシック音楽分野での自らの人脈をフルに活用して全国の音大や芸大の現役指導者、プレーヤーなどといった人たちを八戸に連れて来るというプロジェクトを進めていて、今年が二度目だ。その中には演奏会を開くだけでなく音楽に夢を抱いている子供たちやアマチュア愛好家を現役の演奏家が直接指導するというプログラムがあり、企画はとても素晴らしい。私は八戸ジュニアオーケストラの会長という役職に就いている。それで給料を得ている訳ではなく、全くのボランティア、それどころか時にはポケットマネーから資金援助もしている。元来音楽好きで、元会長だった人と経営者仲間ということで親交があり、その人が他界した時奥様から後継を打診され、受けることにした。言わば道楽、でもゴルフや賭け事には興味が無いから、趣味としては高級な方だと自分では納得している。
昨年はジュニアのメンバーが企画に乗ってたくさん受講した。すると音楽監督が、
「団員の技量が著しく伸びた」
と絶賛したものだから、ついそんな約束をしたのだった。
さて、約束の日は朝から鉛色の雲が空を覆っていた。そのせいか、
「大変苦労しています。なにしろ二十人近い演奏家たちの経費が莫大なもので、もちろん行政からは補助をもらっていますが、それだけでとても賄えるものではありません」
深刻そうな話から始まった。企画書を見てそのとおりだと思った。この人数だと日程調整だけでも大変だろうし、会場の確保や、音楽家たちに支払うギャラ、楽器の運搬や調達なども含め、費用が大きくなるのは十分に理解できる。はて、いくらくらい協賛すればいいのだろうか。ジュニアの会長という立場もあるから、少しは張り込まなければならないかな、と頭の中に数字が飛び跳ねていたら、
「それで、協賛金を頂いて回るのに、お名前をお借りしたいんですが」
一応は遠慮しながらという風を装って、準備してきたらしい文書をおずおずと出した。見ると、頭に『協賛広告料のお願い』と題が書かれ、ずっと右端に私の名前が載っていた。まずはホッとした。不足分の全部とは言わないまでも相当な額を要求されるのかと心配していたが、広くお金を集めて回るらしい。
「私がお金集めの元締めをやるの?」
驚いたふうに、それでも冷静に一言ずつ噛みしめるように確かめると、
「いえいえ、お名前だけでいいですから」
名前を出したらそれだけで済むわけはない。軽い後悔が頭をよぎったが、О氏は何が何でも今回は私を前面に出すつもりらしく、必死で口説く。
「仕方がない、乗せられてみるか」
しぶしぶ覚悟を決めた。
やるとなれば中途半端では済まない。地域で日頃親しくしている企業のオーナーや責任者たちに連絡を取り、社員にも、
「お願いできるところがあったらリストアップしてもらえるかな」
そのリストを見ながら挨拶とお願いに回ろうというのが私の計画だ。すると、
「協力しますから、わざわざおいでいただかなくても良いです。来られたらもうワンランクアップしなければならないから」
本当だか冗談だかわからないが、ほとんどがそのような返事だったので、それについては、あとで何かの機会に顔を合わせたらお礼をすることにして社員に任せた。それでもやはり顔を出してお願いをしなければならない人もたくさんあり、О氏と二人で回ることにした。昔営業担当で会社回りをしていたことを思い出して、胸には若い頃に戻ったような懐かしさが湧いた。
音楽家、特にクラシックをしている人の中にはプライドの異常に高い人もいて、そんな人は券の販売や協賛金集め、広告集めなど、つまりお金に係わることを嫌う傾向がある。まるで、「私の芸術に触れさせてあげるのだから、ありがたく思ってお金くらい出しなさい」とでも言っているような態度を取るから困ったものだ。それでは観客もお金も集まらない。イベントが成功かどうかの判断材料として、舞台上での盛り上がりはとても大切だが、収支があっているかも軽視してはいけない。ビジネスの世界にだって音楽愛好家はたくさんいて、中にはプロより技術や見識の高い人も数えきれない。ビジネスの世界で成功している人の多くは、音楽家がより良い音楽世界を作るのと同じくらい、より多くの利益を上げることに高い価値観や倫理観を持っている。これは、私自身がその世界に長くいるからよく分かる。私だって信頼され続ける企業を目指して常に悩んでいるのだ。ところが、自称高潔な芸術家の中には、時にビジネスの世界にいる人をまるで金の亡者のように言ったり、平気でずさんな金銭管理をしたりする人がいる。だからお互いに理解しあえない。ビジネス世界の人たちが努力して得た利益の一部を提供してもらうのだから、充分に礼を尽くし、信頼される人物であって欲しいのだが、世の中にはそれを理解できない芸術家が結構いる。そんな人は一生貧乏と付き合わなければならないだろう、とは普段から考えている私の信条のようなものだ。
「ところで、イカールって何。外国の言葉かい」
「イカのもじりですよ。噛めば噛むほど味が出る。音楽もまた然り」
はて、去年も同じことを聞いたっけか。首を捻っていたら、腐れ縁の友人の顔が皺でいっぱいになり、突然老けて見えた。
二日間かけて二人は会社回りをした。終わった後、
「あなたが深く頭を下げるから、私はもっと深く頭を下げなきゃいけないと思って、おかげで腰が痛くなりました。こんなに人に頭を下げたのは生まれて初めてですよ」
О氏は呆れていたが、どうやら彼も今までやや高潔な芸術家の一人だったようだ。何かを感じてもらえたのなら、ありがたい。
演奏家陣には豪華な顔ぶれが集まった。歓迎レセプションで女性の参加者に、
「どちらからお出でになったのですか」
私が訊くと、
「普段はパリの大学で指導しているんです。Оさんの強引な勧誘に乗せらました」
女性はけらけらと笑って答えた。
「八戸にもね、私が指導した生徒がいるんです。ここでやると聞いた時懐かしくてね」
外国人らしい女性に英語で話しかけたが通じない。通訳の人が間に入り、
「ポーランドからお見えになりました。ハープシコードの演奏では第一人者の方です。ついこの間ショパンコンクールがあって審査委員長を務められたのですが、今日はその大会で優勝した十六歳の青年もお連れ下さいました」
白髪の男性に訊くと、
「ついこの間まで芸大で教鞭をとっていたんです。Оさんも私の生徒なんですよ」
プロのオーケストラの現役団員もいた。どうやってこんなメンバーを集めたのだろうか。
「あんたの人脈に敬意を表するよ」
そう言うとО氏は浅黒い顔を崩して喜んだ。
演奏は八日にわたって毎日開かれた。
「まるでブラック企業だ。毎晩やるなんて信じられない」
演奏者から、クレームともつかないジョークを聞いて、О氏は苦笑した。
最後の日、講師陣とジュニア合奏団の合同演奏会が催され、聞き惚れた。たいしたものだ。決してひけはとらず、少なくともプロの邪魔にはなっていない。心には充実感が湧いた。でも喜んでばかりはいられない。
「プロを目指すのは素晴らしいけれど、とても難しいし、なったからと言って収入が保証されるわけではない。他に生活費を安定して稼げる道を見つけて、その一部を音楽にも使うのが賢い生き方だよ」
私が普段からジュニアの子供たちに言っていることだが、今回の事に味を占めて高い希望を持つ子が増えたらどうしよう。悩みが、また一つ増えた。