エッセイ

耿さんの日々[その六]

いなかもの

 昨年八戸地域防災協会の会長を退任したら、事務局から会報誌に載せるから挨拶文を書いて欲しいと要請されたので、以下の文章を送った。

  退任のご挨拶
  本年の総会で無事会長職を退任させていただきました。在任中は様々なご理解とご協力を賜り衷心より感謝申し上げます。八戸に来てから三十四年経過しましたが、地域防災協会及びその前の防火管理者協会理事の頃から勘定すると、活動をしていたのは合計で十六年を数え、こちらに居を移してからほぼ半分の期間防災活動に関わっていたことになります。本業が、プロパンガス・石油・都市ガスなどの燃料販売で「安全・安心」をお客様にアピールしなければならない仕事ですから当然ではありますが、皆様のおかげで私なりに楽しく充実した仕事をさせていただきました。
 今だから申し上げますが、最初会長就任の打診を受けた時、いささか躊躇しました。
「私で良いんだろうか。他に相応しい方がおられるのではないか」
 という気持ちです。というのは、引っ越してきて数年経ち、地域の人たちと親交を深める必要を感じいろいろな会合に積極的に顔を出し始めていた頃、ある、それなりに重職についておられる方から、
「いろんな組織のトップに立つのは八高出身のものでなければならない」
 と言われたことがあるからです。さらに、
「大学がどこかは問題ではない。とにかく八高であることだ」
 とも付け足されました。八戸とはそんな街なのか、と正直驚きました。もっとも、それとは反対に、
「例えば漁師という職業や新産都市計画に伴い各地を渡り歩いている人がたくさん集まってできた街なんだから、そんなことに拘らず、広く人材を活用すべきだ」
 とおっしゃる方もたくさんおられるのをその後知りましたが、最初の印象は強烈で、以来いろんな団体の役職の委嘱を受ける時、ためらいと悩みが起こらないことはありませんでした。最近でこそ、声を大きくして上のような主張をなさる方は昔より少なくなったとは思いますが、でも心の奥底でまだそんな気持ちを秘めていると感じられる方は今でもいらっしゃるように思います。これからの八戸は人口減少が間違いなく起こります。古い考えを捨てなければ、他地域から転入しようという人だけでなくいったん街を離れたけれど再び戻ろうという人も増えないのではないでしょうか。ですから、地域防災協会では海外出身の方も含め、いろんな方に参加をお願いしたつもりでいます。
さて、当会ではこれまで不注意や不心得による火災の防止と、天災による被害を最小限に食い止めるための普段の心がけの啓蒙などを中心に活動してまいりましたが、いま世界情勢に黒い雲が立ち上がりかけています。ひょっとしたら将来外国から攻撃を受けた時の備えなども検討しなければならないかもしれずとても不安で、そうならないよう祈るばかりです。とにかく、まず自分から火災や事故を起こさない、大自然の驚異や不測の事態などにも慌てないという気持ちだけはしっかり持ち続けていきたいと改めて心に刻んでいます。
次期会長さんにも私の時以上のご協力をお願いします。許されるなら、機会があれば偶には皆さんのお顔を拝見したいと願っています。どうもありがとうございました。

するとこれを読んだある友人が、
「誰だ、そんなことを言うのは。まだそんな『いなかもの』がいるのか」
 強い調子で言ってきたから驚いた。私に言われても困る。苦笑して聞き流しておいたが、
「実はあなたのお父さんだったんだ」
 とは決して明かさなかった。それよりも、時代が変わり街の人の意識も変わってきているのを実感して、おかしくて面白くて、微笑ましいと嬉しくさえ感じたものだった。