耿さんの日々[その六]
南部昔コ
友人が本を出版した。彼は元高校の教師で教員時代は演劇部の顧問をし、また市民の演劇グループを主宰し、地元の先人たちを題材にした芝居の脚本を書いて自ら役者として出演もしている。さらにローカルエフエムで演劇グループの仲間と『南部弁講座』という番組を持ち、『南部弁』の中の、特に『八戸弁』の薀蓄を語っている。わがまちではちょっとした有名人だ。そのほかにも地域に伝わる昔話や説話を集めては子供や一般の人たちに語って聞かせるという活動もしている。今回出した本は、これまで聞き集めた昔話集で、タイトルは『南部昔コ』とつけられていた。その袖書きを私に書けと言う。
「短いのでようがす。パッと目を引きつけるような文句を考えてくんせ」
普段から親しくしているので断るわけにもいかない。さて、何を書けば良いんだろうか。とりあえずゲラを借りて読んでみた。すると、とんでもない量である。短いものから長いのまで、三百くらいの話はありそうだ。エフエム放送を聞いている時、話題の豊富さにいつも感心していたが、そのベースにはこれだけの材料が隠れていたのだと納得した。
文章は全て八戸の訛りで書かれていた。私は大阪で生まれ育って、縁あって八戸に来てから三十年以上にもなるが、いまだに関西訛りが抜けない。ある時期こちらの喋り口を真似ようと彼に教えを請うたこともあるが、いざ実戦で試したら、
「すごく嫌味に感じる。馬鹿にされたと思う人がいるかもしれないから、やめた方が良い」
と聞いた人から忠告され、彼にそう伝えると、
「関西訛りの八戸弁だもんな」
くつくつと笑い転げた。それ以来、私は八戸弁を真似するのはやめた。
さて、彼の文章を読むと、促音や撥音が随所に見られる。これがネィティブな八戸弁かと感心し、声に出して読んでみたが、今一つしっくりこない。
「母音も標準語の『あいうえお』では八戸弁にならない。あまり口を開かないで、極端に言うと『あえおえお』くらいの感じで喋んだ」
彼に言われたことを思い出してもう一度声に出して読んでみたが、それでもうまくいかない。おそらく他にも、イントネーションや、地元で長年培ってきた発声や発音の微妙なノウハウがあるのだろう。
話そのものは、キツネやタヌキに化かされた滑稽話や、正直一筋で生きてきた若者が出世したというもの、人間と動物の友情物語、妖怪を退治した英雄譚など、他の地方にもありそうなものばかりだった。だが、これらを全部、創作でなく聞き集めたというからすごい。その努力は称賛に値する。そこで、
「私達の住む南部の地域に、こんなにも沢山の物語が埋もれていた!驚きです。昔の人々は、これらを面白おかしく次の時代へ語り伝え、自然に社会のルールや人生の知恵を学び続けてきたのでしょう。ここに掘り起こされた『昔コ』は南部地域に住む人の共有財産で、広く全国に知ってもらいたい宝物です。しかも、読んでいるうちにいつの間にか南部弁を使いこなしている気になってしまうから不思議。南部弁に注ぐ愛情が凝縮していると言っても過言ではないでしょう」
と書いて彼に渡した。長すぎたかも知れない。持ち上げすぎたかも知れない。でも率直な感想だった。
彼と同じグループではないが、やはり子供たちに『読み聞かせ』のボランティアをしている女性が知り合いにいた。八戸に生まれ育った、生粋の八戸人である。完成した本を進呈すると、興味深そうに飛ばし読みしていたが、次に会った時、
「私には無理ですね。八戸弁はもちろん南部弁の一つなんですが、その中にも、『浜ことば』『街ことば』やさらに近郷の農村地帯の言葉があって、それぞれに特徴があるんです。私は残念ながら『街ことば』しか使えません。この本は、著者のいわゆる台本であって、書いた人にしか味のある読み方はできないものだと思います」
と感想を述べた。そんなものかと呆れたが、なるほど、私が付け焼刃で真似てもうまくいかなかったのは当然で、方言の奥深さを実感させられた一言だった。