耿さんの日々[その六]
健康経営
健康経営セミナーが商工会議所で開かれ、受講した。受ける前は、会社財務の健全化についての講習かと思っていたら、そうではなかったので少しばかり期待が外れた。
八戸ガスは私が社長に就任した年は年商が約十五億、銀行からの借入金はなんと二十六億もあり、完全に債務過多で、しかもこれから国の政策と業界の方針で原料を天然ガスに変えるための設備投資を行わなければならず、さらに増えようという時だった。実際、その作業を終えたときは借入金が三十六億まで膨らみ、年商の二倍をはるかに超えてしまった。地元の金融機関はそれでも温かい目で見てくれてその後の資金調達にも応じてくれたが、広域で営業展開している都市銀行では資金回収に来たところもあった。来て当然だと今では思う。私がもし金融機関の人間なら、同じことをしていただろう。だがその時は不快感と将来への不安で、気持ちの塞ぐ日々が続いた。それから十二年経った昨年、ようやく借入金は半分以下に、しかも販売額が二割ほど増え、どちらもほぼ同額の十八億を少し下回るくらいのところまできた。十二年間で、売り上げを増やしつつ年商を超える額の返済をしたのである。
「これは奇跡だ」
私は、当社の経営に関心を持ってくれる人や、私の方針についてきてくれた社員にはそのように言っている。でもまだ良くなったという訳ではない。『とんでもなく悪い』から、『あまり良くない』に格上げされたくらいで、先は遠く、さらに改善していくにはどんな手段があるのかと普段から考えているものだから、表題のような言葉を見て、そう考えてしまったのである。
さて、講習は、『社員の健康管理を会社がやりなさい』という内容で、そんな時代になったのか、と驚きさえ覚えた。私が社会人になったころは、『健康はそれぞれが自分で管理するもの、また、社会のルールや常識は家庭や学校で教えてください。その成績優秀な人を企業は採用します』そんな時代だったと思う。それがいつの間にか、ルールや常識は企業が教えるものに変わってしまい、時には社員の養育者まで教える必要に迫られることも起こるようになった。そして今度は『健康』で、会社が管理し指導しなさいという。これからもますます企業の責任が増えていくのかと先が思いやられた。
講習を終えて会社に戻り、担当者と相談した。担当者は、つい先日『イクボス宣言』を役所に届け、会社の風土を変えようと取り組んでいる。
「これも一緒に取り入れていけるものかな」
と問いかけると、
「基本的に同じものですから、一緒に進めましょう」
とても乗り気で、
「まずは幹部で話し合ってみましょう。キーワードは、健康診断、栄養、喫煙、飲酒、運動、残業、衛生などでしょうか」
立て板に水を流すようにすらすらと数え上げた。そこで、
「口切は私がやるから、要点の整理と進め方を考えて欲しいな」
と言うと、
「わかりました」
とても頼もしくて、気分が良くなり、任せることにした。
担当者が自分の席に戻ってから、自分に当てはめて考えてみた。健康診断は、これまで一般を毎年、最近では日帰りドック健診も受けるようになった。運動は、毎日一時間程度歩くようにしているがそれで足りるのだろうか。誰かに訊いて確かめる必要がありそうだ。残業は、日々の暮らしのどこまでが仕事でどこからが私生活なのか、経営責任者である今の私には区別がつかないから考えても無駄だ。喫煙と飲酒の習慣からは抜け出せそうになく、栄養の取り過ぎに繋がるから注意しなければならない。衛生については、ほぼ毎日朝風呂に入り、まめに下着を取り換えるようにしているから、まず足りていると思う。そのほかにと考えて、帽子を被るように心がけているのも加えられるだろう。十年ほど前のある寒い日にバスを待って冷たい風に晒されていたら、急に頭が締め付けられるような痛みに襲われたことがあった。血圧は高くないのに、と不思議だったが、でも私の髪は頭を保温する機能は失ったらしいとすぐに気付いて、それ以来、寒い日は当然、暖かい日もなるべく帽子を被るようにした。効果はあるようで、その後、少々の寒さで痛みを感じることはなくなり、今では、毛糸の正ちゃん帽やチロリアンハット、ベレーに野球帽やハンチングなど十種類以上も棚に並べて、日によって違うものを被り、ちょっとしたおしゃれ気分を満たして健康効果も期待できる趣味として楽しんでいる。
ところで、口切はすると言ったが、どのように話そうか。考えたが、これといった案が浮かばない。でもまだ時間があるから、そのことには帽子でも被せて暫く放っておくことにしよう。