エッセイ

耿さんの日々

雪花火

完全装備のつもりだったけれど矢張り外は寒い。山奥の湖畔の町には細かな雪が一日中降り続き、陽が暮れて街灯に照らされると線香花火のように輝いて見えた。奥入瀬に流れ落ちる滝が凍っていたくらいだから冷え込みはどん底だろう。頬が突っ張り、吐いた息で眼鏡が曇った。堪らず
「うわあー」
と雄叫びをあげたら、子供たちがげらげら笑った。
「その声、懐かしい」
長男が感極まったように言い、
「全然変わってない」
次男が続けた。確かに、昔もこんなふうに大声を出した記憶がある。
「寒いくらい、なんだ!」

思い切り強がって馬鹿笑いすると、子供たちも真似をした。

家族全員揃って旅館で年を越すのは何年振りだろう。子供たちが小さい頃はよく出かけたものだった。でも、一人また一人と進学で東京へ出、社会人となってからも離れて暮らすようになるとなかなか予定が合わなくなった。それは仕方のないことだと納得している。子供たちはそれぞれが、今、未来探しの真最中である。迷ったり躓いたりした話を母親にはしているらしく時々私の耳にも入ってくるが、生きる意欲を無くしていないようだから黙って見ているだけが良いと知らん顔をしていた。だが正直なところ歯痒い。

今年は珍しくスケジュールが噛み合い、全員揃うと言うので泊まれるところを急いで探したら休屋(やすみや)のこの旅館が見つかった。前から一度は来てみたいと思っていたところで、館内をゆっくり見て回ってから夕食を済ませた。部屋に居るのも勿体なくて、
「散歩でもしようか」
気軽に声をかけたら息子たちが乗ってきた。
「私たちはお風呂に入る」

かみさんと娘は別行動になり、男ばかりがぞろぞろ出かけることになった。積雪は一メートル以上あり、寒いが話をするのに良い機会である。

さて、何から始めようか。思案しながら襟を立て両手で蓋をした。穏やかな口調で、
「この間の企画は上手くいったの」
 まずは長男に聞いた。長男はイベント屋をして生活費を稼ぎながら音楽にのめり込んでいる。それもラップとか言うやつで、私には今ひとつ良さが分からない。
「人はたくさん集まった。お金の方はまだ計算が終わってないけれど、まあトントンかな」

「ギャラを確保して、か」
「いやあ」
と照れ笑いして、
「まだそこまでプロじゃないから」
「そこが大事なところなんだけれどね」

それ以上深く突っ込んでも小言になるだけである。矛先を変えて、
「研究は順調なの」
今度は次男に聞いた。次男は大学を卒業して一旦就職したが、学問を続けたい意向が強かったらしく、秋から方向転換して大学院生になった。
「テーマをどうするかで教授といろいろ話し合ってようやく決めたところ。本当にやりたいことは少し違うんだけれど、あまり我を張って嫌われても損だから」
「でも、押すところは押さなきゃ」
「ふーん」
とちょっと不満そう。余計なことを言ったのかもしれない。次男の方が長男より協調性はあるが、でもそれが気の弱さに繋がっていると言えなくもない。心配事は残るが、どちらもそれなりに色々考えているようである。

突然、足が深く沈んだ。どうやら草むらの上にでも踏み込んだらしい。憎たらしいことに子供たちが笑い転げて囃し立てる。見回すと辺り一面雪だらけでどこが道だか畑だかさっぱり分からない。旅館の明りも見えなくなり、闇の底には青白い原野が広がっているばかりだった。うっかり歩くと野壺にでも落ちそうである。だからと立ち止まっていると体の芯が一層冷え、寒さで下顎が震えた。
「だめだ、もう帰ろう」
 鼻水を啜りながら踵を返すと、
「うわあ、軟弱」
 息子たちが冷やかすので足元の雪を丸めて投げつけた。するといくつも投げ返してきてすぐに顔も服も雪まみれになった。
「降参、降参」

駆け足で旅館に逃げ帰り、風呂に飛び込んだ。お湯の熱さが体中に突き刺さり、その心地良い刺激を楽しんでいると子供たちも続いて入ってきた。お互いに暫くの間、ただ無言。窓の外を見ると、明りの下にはまだ雪の花火がちらついていた。子供たちの人生が、打ち上げのような派手さは無くともこの雪花火のようにいつも少し輝いていれば良いと願った。

ようやく温まってきたところで、
「来年は、何か良いことがありそうか」
と聞くと、二人とも、
「たぶん、今年よりは」

確信が有って言っているのか、それとも期待だけなのか分からないけれど、人生に挑む息子たちの若さに、懐かしさと、少しばかりの妬みを覚えた。