エッセイ

耿さんの日々

茶道教室


1.お茶を一服

「準備から片付けまで、全てが稽古ですよ」  
入門の時そう言われたので早めに来たつもりだったがもっと上がいた。既にお茶を篩にかけ終わり、床の間には花が生けられ茶器も調えられている。恐縮して一礼した。炉から香の煙がほのかに立ち昇り、部屋には甘美が漂っていた。深く息を吸うと外気で冷えた体が心なしか温まり、肩から緊張が抜けて快い。

「軸を掛けるのを手伝ってください」 言われるまま異次元の世界に浸されていった。  
それまでは茶道なんて窮屈で自分の棲むところではないと勝手に思い込んでいた。だがほんの気まぐれで覗いてみると意外にも自由で寛げる場だと無知を悟った。確かに作法は難しく足の痺れも苦痛ではあるが、 「無理に我慢する必要はないんですよ。痛くなったら適当に膝を崩しても良いし、基本的なやり方を念頭において変化をつけるのは風情と言って素晴らしいことなんです」

すっかり惚れ込み、以来通うことに決めた。まだ初心者である。それでも師匠に連れられ仲間と何度か茶会にも出た。ありがたいことに間違えても咎める人は無く、既に面識のある人と思わぬ出会いをして共通の趣味を喜ぶことも経験した。

やがて全員が毛氈の上に並んで膝を正した。当番の人が紅葉を模った菓子を運び、茶を点て始めた。順番が来て私にも配られ、ぎこちなく器を口に近づけると爽やかさが鼻をくすぐった。飲み干した後ふと思い出して数日前の失敗談を披露したら笑いを誘い、座が和んだ。これから憩いのひと時が展開する。ここは時間の贅沢を楽しみ、五感を総動員して身近にあるものの美しさを再認識するところらしい。見落としていた人生の楽しみを拾い上げるのは嬉しくて心が膨らむ。釜の湯が鈴虫のように鳴き、秋の深まりを一層引き立たせた。香と抹茶の程よく交じり合った匂いに包まれ、至福が訪れた。


2.お茶室にて

久しぶりに師匠宅の茶室にお邪魔した。いつ来てもこの部屋には懐かしさが漂っている。私もやはり日本人ということだろう。鴨居から天井までが高く、見上げると心がとても安らぐ。建てられて八十年位と伺った記憶があるけれど古さを感じないのは日々の手入れが行き届いているからに違いない。お茶の稽古を始めてから伝統文化にも触れる機会が増え、「わび」や「寂び」という、かつて教科書でしか読んだことの無い言葉をよく耳にするようになった。おかげで最近では少しばかり分かったような気でいる。ただ古いだけではもちろん駄目で、人の手で丹精込めて大切に扱われ愛着がにじみ出てようやくその境地に至るのだと思う。高度技術や先端知識に振り回されて来た身には価値観が根本から異なる。だから稽古日はとても新鮮である。

開け放した窓から虻が侵入してきた。虫嫌いの同輩の女性が声を上げて顔を隠し別の人が追い出しにかかると、虻は未練たらしく元の窓から退散した。仲間に入りたかったのかも知れないのに、可愛そうだがこれもまた春の風情である。庭には強過ぎるほどの陽射しが舞い、しだれ桜やはなみずきが満開の花を咲かせていた。一服のお茶が、体の隅々にまで染み渡った。


3.貴人清次

青森市で研究会が催されることになった。テーマは貴人清次で、私たちの社中が幹事を承ることになり裏方から演者まで役割を分担したらなんと私にお殿様役が回ってきた。だが柄ではない。困惑していると師匠が、 「お受けなさい、お家元に亭主をしていただけるんです。お殿様のすることにクレームをつける亭主なんていませんよ。だって昔は茶頭と言ってもお殿様の家来なんですから、そんなことしたら切腹です」 それは面白い。少し安堵して、いろんな場面を想像しながら一人ほくそ笑んだ。

お稽古は初座から始まった。さて何から話題にすればいいのか……迷っていると、 「軸は流祖の筆で、米寿の時のものです」 お家元が誘導してくださった。さすがである。 「俳句のようですが、どう読むのでしょうか」 あとは上手く話が繋がった。私よりも茶歴のうんと長いお供役の方がニコニコしておられたのはまずまずの流れだからだろうか。まあ、そういうことにしておこう。

やがてお酒が出された。飲み過ぎちゃだめですよ、と師匠から釘を刺されていたがお家元はなかなか飲ませ上手である。このくらい大丈夫だろうと軽く考えたのが間違いで、何杯かいただくと目の周りが火照って瞼が重くなり、後座に入った頃にはとにかく眠く、足の裏に爪を立てて必死でこらえた。急ぐでもなく弛むでもない時間が流れその隙間に吸い込まれそうになった頃濃茶が目の前に運ばれ、啜ると体中からお酒が洗い流されるような気がふとした。酔いが醒めてきたではないか。良かった、おかげで不調法をせずに役目を終えることができそうである。

総評でお家元からお言葉をいただいた。 「今日の貴人は自然体でしたね」どういう意味かと色々考えた。さては酔っ払っていたのを見抜かれたか。しかしお褒めいただいたんだと解釈して素直に喜ぶことにした。難しく考えない方が、気が楽である。

お茶の世界は奥が深いらしい。入門して八年目になるが、未だに入り口でうろうろしているばかりで奥なんて見えそうにない。今日そのことを改めて自覚した。それで良いとしよう。深遠に辿り着くのは無理かも知れないけれど、それよりも朋輩の皆さんと飲んでいる時間をただ過ごしているのが今の私には楽しくて仕方が無いのである。