エッセイ

耿さんの日々

是川縄文館

是川の縄文ボランティア活動開始式にお招きを受けた。おいでになったお客様に無償で案内をする人たちの集まりで、中年から熟年の方が多く、そう言ったことに名乗りを上げられたくらいだからもちろん古代の世界に興味もおありだったのは間違いないがきっちりと勉強もされ、式典の後清々しいマナーで説明をして頂けた。嬉しく、頼もしいことである。解説と展示品から思い浮かぶ古代の東北は、日本の最先端の知識と技術を持ち争いの無い平和な地域で、人々は自然の恵みを共有し収穫を分け合って暮らしていたらしい。当時は他の地域との交流もそれほど頻繁ではなく今いる自分たちの群落こそ世界だったろうし、また恵みが多ければ争う必要も少なかったことは容易に理解できる。小説「ライアの祈り」にもそんな描写があり、読んでいた時の感銘を思い起こした。略奪の横行する現代とは大違いである。

一体いつから人は奪いあうようになったのかと考えた。農耕が発達し富を蓄積できるようになり、富が権力と人の上下を生み出し、他人の富を気にする人が増え、自ら生み出すよりはもっと簡単な方法として武力を選んだ……そんな経過だろうか。だとしたら現代は寂しく恥かしく愚かしい時代である。

土偶の形が、現実の人間に比べてあまりにも単純化され表現されているのが気にかかった。確かに土で作られているから細工が難しいということはあっただろう。技術が稚拙であったのかとも考えたが土器の外側に彫られた火炎のような模様や遮光器土偶の衣服の幾何学的な柄などを見ているとそうばかりとも思えない。ひょっとしたら当時は、写実的に作ることを敢えて避けていたのではないだろうか。似せられた人の寿命が縮むとか、生命が宿るのを嫌がったとか、あるいは外見よりもその中に潜む精霊の姿を現そうとしたのかも知れない。見た通りに作るのが良いというのは現代の価値観で、当時の美感覚はむしろ単純化やデザイン化に重きを置かれていたとも考えられる。思い直して展示品をあらためて見ると古の人達の感性がひしひしと伝わって来る気がして身が震えた。

国宝の「合掌土偶」が最後の部屋に飾られていた。両手を合わせていることから、「神様にお祈りをしている」とか「出産の姿勢」だとか様々な説があるようだが、この顔は生のままではなくお面をつけているように思えてならない。祈る時に膝を立てるのはしっくり来ないしお産の時にわざわざ顔を覆うことも考えにくい。あれこれ考えて思いついたのが、霊媒となっている人に神様の乗り移っている瞬間を表現したのではないかということだった。だとしたら住居から発見されたというのも合点がいく。その建物はおそらく神殿で、土偶はまさに部落の人の「拝む対象」、現代で言えば仏像やマリア様のようなものだったのではないだろうか。

想像を巡らせるのはとても楽しい。ボランティアの方の一言一句が私の頭に心地良い刺激を与えてくれた。ここは、空想とロマンに溢れた世界である。