エッセイ

耿さんの日々

あかとんぼ

もう三十年近くも昔のこと、実家でお産を終えた妻が初めての子供を連れて団地の我が家に帰ってきた。まるでおもちゃ、ぷるぷると小刻みに震え、触れば壊れそうでおっかない。頬を軽く突いてみたが目を開かず、がっかりした。なのに、 「眠いのよ」 と言い訳する母親の声には敏感に反応して小さな手を動かす。面白くない。 「抱いてみたら」 恐る恐る受け取って胸に抱えた。すると突然泣き出したので、慌てて戻したら妻がぷっと吹き出した。どうも勝手が悪い。

新米の親と新米の赤ん坊の生活が始まった。

赤ん坊は、朝でも深夜でもお構い無しによく泣いた。一人でいるうちに育児書を何冊か読んではいたけれどまるで役に立たない。泣くのが赤ん坊にとって運動と分かるのはずっと後のことで、当時は隣近所に煩いと言われては困るとひたすら焦り、おむつは大丈夫、お腹が空いたのでもなさそう、熱も無い……原因が全然わからず夫婦で思案に暮れた。

ある日の夕方、また泣き出したので抱き上げて暫くあやしていたけれど一向に止まず、困り果ててベランダに出た。赤く染まり始めた空を見て何気なく「あかとんぼ」を口ずさんだら腕の中が静かになっているではないか。見ると、なんと赤ん坊が微笑んでいる。歌い終わると愛嬌を振りまいたので、今度は「チューリップ」を歌ったら声を立てて笑った。

「この子、歌が好きみたいだよ」 「へえ、すごいじゃない」 妻も面白がって歌った。どの歌にも反応し、「さらに」と要求する。そんなに知っている訳でもないから仕方なく同じ曲を何度か繰り返していると、ようやく眠り始めた。 「音楽が分かるのかな」 「ひょっとして才能があったりして」

親馬鹿二人は次の日から色々な歌を聞かせた。どうやら流行歌やフォークよりも童謡が好きとわかり、それでテレビ番組で特集があると録画して何度も聞き返したり、楽譜を取り寄せてメロディを読み覚えたりして新しい曲を仕込んだ。学生時代にアマチュアの合唱団で基礎的な練習を齧っていたのが役に立ったようである。

一年半ほどして二番目が生まれた。次の子も歌に興味を示した。同じように歌い聞かせていると、上の子がたどたどしくついてくるから驚いたものである。ひょっとして、本当に才能があるのかもしれない。親馬鹿はますます募り、早めに家に帰り、毎晩のように一緒に練習をしたら二人で歌えるものがすぐに十曲を越えた。そのうち、日頃の生活を題材にして家族だけのオリジナルソングを作るようになった。と言っても浮かんだ言葉に簡単な旋律をつけ鼻歌風に歌うだけだったが、やがて二番の歌詞を考えたり、始めから歌にするつもりで詞を書いたりするようにまでなったのである。病み付きになり、仕事中でも、車の運転をしていても、知人の葬式に参列して焼香を待っている間にも曲想を考え、出来上がったものを家族に聞かせて一緒に口ずさんだりもした。

でも、子供が一番得意なのは最初に聞かせた「あかとんぼ」で、これを歌うときは他のものより声が大きく、どうやらこれが原点らしい。一番目の子供はやがて音楽教室に通いピアノを習い始めた。当然のことながら素晴らしい芸術に触れ、次第に童謡以外の音楽へ関心は広がり、長じて大学で専攻するまでになった。二番目も友達同士でバンドを組んだりして今でも音楽に触れ続けている。

いつの日か、彼らも自分の子供を持つことだろう。私にとっては孫である。そうなったら、「じじ」と呼ばれてまた「あかとんぼ」を歌ってやろうと思っている。その日がいつなのか、まだ気配すら無くてとても残念である。