エッセイ

耿さんの日々

メガネ礼賛

人間がこれまで開発してきた科学技術のうち、メガネは生活に最も役立っているものの一つだと思う。眼の前にかざすだけで、今まで呆けてあるいは小さくて見えなかったものがはっきりと見えるのはまるで魔法、これは初めて使った時の実感である。私の場合、若い頃こそ両眼とも高い視力を誇りその必要性を感じなかったけれど年齢とともに衰え、ついに世話になることになり、最近では近視遠視乱視のほかに白内障と網膜の異常まで現われるようになって最早必要不可欠となってしまった。確かに不便はある。置いた場所が分かららなくなったり置き忘れたり、掛けている上から目薬を点したりもする。だがそれを差し引いても、こんな便利なものを発明してくれた天才に心から感謝と賞賛を贈りたい。

人工のものを身につけて機能を補ったり高めたりしている人をサイボーグと呼ぶらしいが、この定義からするとメガネを掛けている人もその範疇に入れていいだろう。最近はサイボーグも色々な分野で生まれ、目はもちろんのこと、歯、耳、骨格や筋肉、さらには心臓などの臓器まで補助具を付けることが珍しくなくなってきた。メガネはその先駆けである。メガネの進歩はカメラを生み出し、見た映像をそのまま残すことができるようになった。記憶と言う、知能の分野まで補助しているとは考え過ぎだろうか。

さらに、メガネを組み合わせれば遥か遠くまでも見える。山の向こうどころではない。惑星や銀河を越え、宇宙の果てまでが美しい映像になって私たちの目の前に示される。小さな世界も同じで、既に細胞までは小学生でも手軽に見られるし、あと少し経てば分子や原子、さらに素粒子の世界も見られるに違いない。もっともそのためには人間の目では感知できない光を使わなければならないが、普通では見えないものを見えるようにする、と言う発想がここにはある。これもメガネに連なる進歩なのだろう。温度が見え、血液のある種の成分や体の構造まで、さらにはるか上空の大気の組成や遠くの星の成分も見分けられるから驚くしかない。

人間の知恵は留まることを知らない。この分だと空想小説のように人の心の内や、未来や過去までも見せてくれる日が本当に来るのではないか、と正直不安である。知られたくないこと、知りたくないこと、そんなこともいくつか残しておかないと人生が味気無くなる。だって、嘘、内緒、虚栄……人間はそんな余り誉められないことを抱えている不完全な存在だから、物語が生まれるのである。