エッセイ

耿さんの日々

最高のひとこと

踊りの披露宴に招かれた。東京の、有名な神社の奉納舞踏に、全国の踊り手の中から選ばれて、無事済ませたお祝いだそうである。

が、少しばかり遅れてしまった。急いで受付を済ませこっそり扉を開けると中は真っ暗だった。空席を探していると人が近づいて来て、「ご案内します」小さな声で囁いた。「じゃ、よろしく」もっと小さな声で応えて後に続いた。するとどんどん上座へ向かう。不安が膨らんだ。案の定、一番前のテーブルに名札が置かれていた。指定席なのか。両隣の人がこちらを見ている。気まずい思いで目礼を交わした。

舞台が明るくなり音楽が流れた。華やかな衣装に包まれた体がしなやかに動き、何もないはずの小さな空間が花の咲き乱れる庭かと錯覚すら起こってくる。素晴らしい踊りに、次第に引き込まれていった。終わった後、余韻に浸って暫く呆然としていると肩を叩かれた。
「後で、ショートスピーチしてくださいね」
驚いて見上げると司会の人だった。
「そんな、急に言われても」
「皆さんにお願いしているんです。ひとことで良いですから」

さあ困った。頭の中で原稿を書いてみる。あのこととこれと……食事をしても味がよくわからない。いくらビールを飲んでもすぐに口が乾く。何とか纏めてあらためて喉を潤したら冷たさがおなかを駆け回った。なあに、どうせ誰もまともに聞いていないだろうから、と開き直りで出番を待つことにした。

やがてスピーチが始まった。何人目かの人が考えていたのと同じことを喋った。
「しまった、取られた」
それでもまだ冷静でいられたのはもう一つネタがあったからである。ところが次の人がそれも披露してしまった。もう何も無い、どうしよう・・・。

ついに恐怖の時が来た。壇上に上がるとたくさんの視線が向かってくる。
「そんなにまじめに聞いていただかなくて良いんですよ」
思わず叫びそうになった。なるようになれと出任せで喋り出す。自己紹介とここに招かれた理由の推測、さらに最近始めた仕事のこと、なかなか踊りの話に入っていけない。口と頭が別々の行動を取っている。
「いったい何を言いたいのだ」
自己嫌悪しながらもようやく最後の言葉に行き着いた。
「これからもますます素敵な踊りを見せていただけるものと期待しています」

席に戻ると肩から力が抜け、背筋には冷や汗が流れていた。それでも無難に終えたと、まずは安堵して冷えたビールをもう一杯、今度は頭にまで染み渡った。誰かが無責任にスピーチの品定めをしている。でももう知ったことではない。

宴も終わる時が来た。本日のスターが、衣装をつけたままで最後の挨拶を始めた。可愛い声である。感激のせいか途中で言葉が詰まった。
「がんばれ!」
元気な野次が飛び、笑いが起こった。突然、申し合わせたように静寂が会場を包んだ。マイクの声がそれを打ち破る。
「ただ、踊りが好きだから今まで続けて来たんです」
今日一番のひとことが会場に拡がった。スピーチした人は皆敗北を認め、出席者が最高のお土産を心に刻んだ一瞬となった。