エッセイ

耿さんの日々

どっとはらい

穏やかにゆっくり話す口調には聴衆の耳を引き寄せる魅力があった。まだ現役の役者として活動していると言うだけあって舞台上での存在感はさすがである。今演じているのはハマの言い伝えをもとにして作った一人芝居だそうで、時化にあった二人の漁師が、一人は波に全てを奪われ反対にもう一人は海の恵みをたくさん授かった、幸運を得た漁師は普段から無欲で誠実な性格の人であったという道徳説話的な内容のものである。

「どっとはらい」

話が終わったときには、観客の息を吐くリズムが一緒になっているのに気づいた。ぱらぱらとそしてやがて満場の拍手が彼を包んだ。一礼して両手で押さえ、次の話を始めた。聴衆が再び飲み込まれていく。八戸弁が聞き取れる人もそうでない人も舞台上の方言の世界にどっぷりと浸っている。

標準語教育が進んだおかげで全国どこへいっても言葉に不自由する事は無くなった。そのかわり土地の風土に根ざした言葉を使いこなせる人が少なくなった。八戸もその通り。彼の説明によると、南部弁の中でも八戸弁は盛岡あたりのそれとやや違うそうな。さらに八戸弁とひと口に言っても、ハマ言葉、マチ言葉、山手の言葉と色々あり、昔は誰もが聞き分けたそうである。だが、今となっては難しい。ことに津軽弁と南部弁の違いさえわからない私のような「たびのひと」には荷が重過ぎる。理解する必要はあるまい。昔はこのような言葉で会話が行われていたのかと、ただ雰囲気を味わうだけで十分である。

八戸に移り住んで十数年。土地と相性が良かったらしくどうやら根付き、あちこちと心を和ませる場所も知ったし知己も得た。いつのまにか土地の人よりも地元贔屓となり、
「皆さん、もっと自分の生まれ育ったところに自信を持ちなさい」
などと偉そうなことを言うようにもなった。商売も不景気と言われる中では順調なほうである。今日はお客様にお集まりいただいての懇親会で、その余興に旧知の彼を呼び、古い八戸にまつわる話をしてもらった。企画は大成功で、胸をなでおろした。

舞台上の彼、本業は女子高校の教員である。学校の演劇部の顧問をし、それとは別に劇団を持ち、台本も書き、自らも演じると言う生活を送っている。その方面の世界では結構有名人だそうな。八戸という土地にこだわり、ここから文化を発信したいと言う意欲が、普段の会話の端々から滲み出している。個性の強そうな人である。話をしていると意外な発想に会ったりして楽しい。

「どっとはらい」

また一つの話が終わった。両手を高く上げことさら大きな拍手を送った。