エッセイ

耿さんの日々

上海万博

「万博見物に行かないか」

何人かの友達に声をかけたら殆どが乗ってきた。それどころか、久しぶりの海外だからと調子付いて、「雑技団、見たいよね」「博物館も行きたいな」「太湖は、そんなに遠くないだろう」で、いろいろ盛り沢山な計画に膨らんでしまった。

始めの二日でその他のことを全部消化したらかなりの強行軍、でも青空に恵まれて比較的楽しく過ごした。比較的、そう、もちろん不愉快なことも無いではなかったけれど……。「さて、明日はいよいよ万博」とホテルに戻ると会場の情報が届いていた。見ると入場者が連日記録を更新し混雑が激しい、どのパビリオンも待ち時間が長い、暑さで倒れる人が続出している、など余り芳しいものではない。おまけに天気予報が雨、と続くと、
「止めようか」
本気で言いだす人も出てきた。ここまで来てそれはない。

当日、覚悟はしていたものの朝から矢張り雨、それも土砂降りである。悪い予想は本当によく当たる。おまけに強風で、傘を差しても吹き飛ばされてさっぱり役に立たない。道路のあちこちに川のような流れと水溜まりができて、会場に入る前から靴も靴下もびしょびしょ、歩く度に水を絞り出す不快な感触に纏わりつかれた。それでも、
「炎天下で熱中症にかかるよりは良い」
慰めの言葉をかけてくれる。友人たちは皆優しい。

なにはともあれまずは中国館へ。折角来たのだからここだけは是非見たい。驚いたことにパビリオンの前に来たら人の列がとても短い。何時間も並ぶことを覚悟していたけれど、これなら三十分くらいで済みそうである。さては雨で人出が減ったのか。「幸運の雨だったんだ」単純なのが仲間たちの良いところ。素直に喜んで列の後ろについた。

列は順調に進んだ。少し前のほうで、私たちの並んでいる列を横切ろうとする子連れの人がいた。現地の人らしい。見ていると、仕切った鉄柵の隙間から入って、前の方に割り込もうとしているのである。整理員が駆け寄って制止し、入るのを止められた子供が泣きだした。親らしい人が整理員の袖を掴んで喚き散らしている。「子供だけでも良いから、入れてくれよ」とか言っているに違いない。
「あれでは子供の教育に良くない」
「何かにつけ、マナーが悪い」
少しだけ溜まっていた憤懣を吐きだした。それでも自分の並んでいる列が動いている間は、まだ冷静な批評家でいた。ところがいつの間にか動きが止まり一歩も進まなくなると気分が苛立ち始め、きょろきょろと、あちらこちら眺めて様子を探らずにはいられない。ずっと前の方に並んでいた人が整理員と押し問答を始めた。矢鱈うるさい。別の方から伝わってきた話によると、我々は割り込みグループに列を乗っ取られたらしい。
「この国には、公徳心と言うのが無いのか」賢者になったつもりで息巻いていると、「いや、そもそも割り込んだのは我々が並んでいた列かもしれない」いろんな意見が飛び交い、訳が分からなくなった。押し問答はまだ続いていて、声は一層甲高く、おまけにどちらも喧嘩口調でおっかない。近寄らないようにした。

整理員が一団の人たちを連れて来て列の横に並ばせた。今まで二人ずつ並んでいたのが五、六人になり、それを整理員が細い列にしようと横から押すから、まるで割り込みを推奨しているようなものである。私たちの列が正しいものだったとは分かったけれど、ではなぜ割り込みの人を後ろへ回さないのか。おかげで待つ時間が長くなり、隣の人の傘の雫が服にかかって下着までびっしょり濡れてきた。不愉快が鬱積してくる。
「今まで大人しく並んでいたのは何だったんだ」
私も騒ぎたいが、言葉がわからないから文句も言えない。日本人は謙虚なのか弱腰なのか、いつも流れに押されて陰でぼやくだけ、私もその一人には違いない。

それでも何とか中には入れた。展示室には、壁一面の大きなスクリーンにコンピューターで作ったらしい映像が映し出されていた。昔の中国の市井風景らしいが、小さな映像をいくつも繋げてあるのに境目が分からない。大きな画面を映し出す最新技術らしい。いくつかの時代をごっちゃに描いてあるように思えるが、それほど中国の歴史に詳しくないからどれがどの時代を表現しているのかよく分からない。隣にいた友人にそう言うと、
「分からなくても良いんじゃないかな。今の技術がここまで進んでいるんだよ、と訴えたいだけなんだろうから」

冷めた評価である。それでも画面には感心しながらどんどん前に進んだ。いや、後ろから押されて進まざるを得なかった。時々、私を押しのけて前に出ようとする人もいる。いつの間にか友人達と逸れ、一人になっていた。ところてんのように出口から押し出されて、そこで暫く待ったが友人は誰も出てこない。仕方がないから別の建物に移ることにした。迷子になった時の待ち合わせは、前もって時間と場所を決めてあるから問題ない。

雨は朝ほど激しくはないが、まだ降ったり止んだりである。もう差す必要がないと思ったのか、前を歩いている人が傘を畳んで大きく振り回した。水が飛び散り、私の顔にもかかった。気付いた筈なのに振り回した人は知らん顔である。スローガンを書いた赤い帽子が憎たらしく見えた。熱烈歓迎。「なにが……!」でも矢張りぼやくだけ。空しい。

船着き場が見えたので対岸に渡ることにした。時間を見ると間もなく出航である。乗ろうとして入りかけると、入り口で止められた。むっとして、「乗りたいんだけど」。すると、さっぱり聞き取れない中国語が返ってきた。そこで、まず大きく自分を、次に船を、最後に対岸を指さしたら、通じたらしい、「どうぞ」とばかりに乗せてくれた。ボディランゲージは確かに共通語である。さっきの不愉快を束の間忘れ、気持ちよく川面の景色を楽しむことができた。

対岸には着いたものの、もう、どのパビリオンも人がたくさん並んで一時間程度の待ちでは入れそうにない。ぐるりと散歩した後ファストフードで軽く食事をとって、今度はバスで戻ることにした。バス停はすぐに見つかった。けれど、さてどのバスに乗ればいいのだろうか。案内係りらしいお揃いのシャツを着た若い男性に訊いてみたが日本語が分からないらしく、聞こえない振りをする。試しに、たどたどしい英語で聞いたらもっと通じなかった。お手上げ、という風に両手をあげたら、仲間らしい若い女性が近付いてきて、
「日本の方ですか」
「日本語が分かるんですか」
「少しだけ」

言葉が通じるというのはこんなにも親近感と安心があるものなのか。感激して行きたい場所を言うと、どこでどのバスに乗れば良いかを、私の理解の程度を測りながら説明してくれた。少しどころかかなり堪能である。しかも、細かい気配りに嬉しくなった。
「ありがとう。実はこちらへ来てから時々不愉快な場面に出会って、印象が悪かったんだけれど、あなたのおかげで随分良くなった」
「どんなことがありましたか」

訊き返してきたので、つい気を緩めて一昨日の成り行きを話し出した。夜の街角を歩いていて青信号で交差点を横断しようとしたら、人が渡りかけているのに自動車がスピードを落とさないで右折してきて、前を歩いていた観光客らしい白人女性と接触しそうになった、歩いていた方が避けたから事故にはならなかったものの転んで、かなり興奮したらしく起きあがった時にハンドバックを振り上げて車のボンネットを叩いた、すると今度は運転手が怒ってその歩行者と口論になり警察官が来た、でも事故では無いので揉め事には関わらず帰ってしまった、観光客と運転手の口論はそのあとも長く続いたことなどをかいつまんで話した。
「そうでしたか。それは御心配をおかけしました」

まるで国を代表しているかのように謝ったので、逆にこちらが恐縮してしまった。「交通マナーは確かに良くないです。それは私たちも分かっている。人間よりも車優先だから。もし轢かれたら轢かれ損です」何度か聞いたことがある。頷いていると、「この会場では人間優先を徹底するよう教育されています。今は若い人も学校では教えられていますが、それでも注意してください。特に街の中は、まだまだですね」
「これだけ大きな街なのにね。同じようなこと、まだいくつか経験させられた」
「御免なさい。急に大きくなったから、まだ人が着いて来られないんです。外国のマナーや常識を知らない人がたくさんいます」

確かに、と頷いていると、「でも、外国の方もこの国のマナーや常識、あまり知らないですね。もう少し知ってもらえるとありがたいんですけど。誰でもそうですが、自分だけの常識で全てを見てしまいます。良くないですね」。目を丸くして正面から向き合った。ショートカットで控えめな化粧の顔は、まだ幼ささえ漂わせているけれど、態度から知性が滲み出てくるようだった。静かな声で訊いてみた。
「あなたは、この会場で働いているの」
「ボランティアです。世界のことをもっとよく知ろうという団体に入っていて、この会場には勉強も兼ねて仲間と申し込みました」

教えられた停留所から教えられたバスに乗ると、地下道を抜けて期待した通りの停留所についた。そうなることに何の不安も心配もなかった。見物はもう十分で、約束の時間までどこかで休憩することにした。今日は素晴らしい一日だった。雨は大変だったけれど、入ることのできたパビリオンはたった一つだけだったけれど、不愉快なこともたくさんあったけれど、素敵な若い人に巡り合って良い話を聞くことができた。
「自分だけの常識で全てを見てしまいます。良くないですね」

もう一度心の中で繰り返した。私自身もそんなことが多い。今回の旅行は楽しい記憶になりそうである。