エッセイ

耿さんの日々

忙し屋

チェック・ゲートを潜って待合室に入ると椅子はびっしり埋まっていた。午前中の東京行きはこの便だけだから、兎に角混む。今のところそれも仕方がないだろう。出発まであと三十分足らず。壁にもたれて外を眺めていると後ろから肩を叩かれた。振り向くと、「よっ」と軽い挨拶。こちらも手をかざした。普段用があってもなかなか捉まらず、アポを取るのもままならない人である。

「こんなところに居たの」
少しばかり皮肉をこめて言うと、
「そちらこそ」

反撃が返ってきた。部屋の中を見渡すとそんな人が何人か居る。会社に居るより出張の方が多い人たち、「忙し屋」とでも括って見ようか、私もその一人かも知れないが……。

震災と津波で新幹線が止まってから約一カ月と言うのに回復の見込みはまだ立たず、東北道もいまだにあちらこちら工事中だから東京へ行く手段は飛行機しかない。客席はいつも満員で予約もなかなかとれず、空港にはキャンセルを狙って朝早くから待っている人もいるそうである。

「本当は、飛行機は好きじゃないんだけどね」
忙し屋が言う。「なぜ」と聞くと、
「着くのが羽田の一番向こうで都心まで一時間くらいかかるし、それに……」
「それに……」返事を促すと、
「地面から離れているのが、どうしても不安で」
可愛いことを言う。
「ところで、今日は何処まで」……

いくつかの会話を交わして離れた後、忙し屋さんたちはどうしてこんなに出張を続けるんだろうかとふと考えた。取引の要件を煮詰めるために……なるほど大切なことである。挨拶回りのために……これも疎かにはできない。情報や世の中の流れに遅れないために、人脈を広げるために、ある団体で責任のある立場にいるために、お付き合いで、ただ単に招集がかかったから……この辺になってくるとだんだん怪しくなってくる。もちろん、それぞれ理由として立派なもので価値の置き方に文句をつける気は無いが、出向かなくても電話やインターネットで済むこともあるだろうし、忙し屋さんたちは結構社員を抱えているのだから、他のスタッフに振り替えてもよさそうである。究極のところ、出張が好きなのではないか。そう思えてくる。

さて私はどうだろうか。ここまでにあげた理由はすべて私にも当てはまるが、あくまでも表向きである。奥にあるものはと突き進めて、新幹線が止まってから何処へも出歩いていないことに思い至った。私の場合、新幹線が好きだから出張するのかもしれない。確かに東京までの三時間、殆どだれにも邪魔されず思索に耽ることができるし、本を読むことも、疲れたら眠るのも自由である。乗っている間は気遣いの必要もなく自由な時間を持てるから……でも待てよ、だとしたらこんなことはあまり社員には言えないな、とそこまで考えた時、搭乗案内のアナウンスが聞こえた。ぞろぞろと人の群れが動き、流れに乗せられて私も入口に進んだ。今日は飛行機で、これから大切な、大切な出張である。